〖 ヒタリハナ 〗
風に舞う、桜の時氣に、みな巻かれ
嬉し出会いと、悲しき別れ。
人は罪の子ではないぞ、
ツムル(募/津/集/紡/摘/積/粒/瞑)
子であるぞ、
とはいえ罪がないわけではない。
我が我がと
自分ですべてしているように
思っておるが、
人の行い見れば
すべて神がさせていると
わかったであろう。
我で積んだものに埋もれて
身動き取れんようになる
道理わかったか。
人は自ら目を瞑り
見えないものを無いと申すが、
そこには罪があるぞ。
神を無きものとするとは
そのコトであるぞ。
人はヤミ(闇/病み)を見れば
ヤミしかみえぬと申すが、
闇の中の
蝋燭の灯りありがたくても
捕われれば目が眩むぞ。
ぢゃがカガク(火我苦)にも
金にも金毛九尾にも罪はない。
自分でしておいて
勝手に何様を恨んでおるようでは
メクラ(目暗/目眩)じゃぞ、
自分恨むより
他なくなると申してあろう、
メクラには困る困る。
目を瞑りて思えば
そこに景色面影は映り、
アレコレと考えれば
言靈さきわうであろうがな、
それを自分でしていると思う
我に罪があるのぞ。
我の欲から生じたウズ海に
巻かれることは
埋もれると申すのぞ、
自らに積んだマナ(学び/食物)は
世のため人ために
神が与えているものであるぞ、
一応は自分のものとして
良いのではあるが、
それを自分のものとした侭では
我良しであるぞ。
ミタマ(身魂/実霊/靈)は
常に掃除せねばならん。
コモグ掃き出して
世のため人のため生きてこそ
真の喜びがあるぞ。
ナルトとは自分をそとに送くる
🌀のコト。
世に出てナルヒト(成人/徳仁)と
なるのが鳴門の仕組み。
神はせよとするなと
申すこともあると申してあるぞ、
無くせ成せと申すこともあるぞ、
七七七七であるぞ、
ナクセナナクセ(無屈せ名成苦せ)の
我を小さく吾を大きくであるぞ。
細かく解かれてわかるようでは
御蔭少ないのぞ、
自らキづくことに徳あるぞ、
はよ神心悟りてくれよ。
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