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「与えない」を与える

田舎民の休日の嗜みといえば、やっぱりイオン散策だ。
我が家もご多分に漏れず、その週末は家族4人でイオンに繰り出した。
近隣のイオンは、でかい。とてつもなくでかい。一大アミューズメント施設だ。
イオンのでかさと田舎度は確実に比例する。

飲食店街でラーメンを食べ、夫に誕生日プレゼントのバッグを買い、子供たちの靴下がずいぶん黒ずんでそろそろ役目を終えそうだったことを思い出した。
エレベーターの方に歩いていると、上の娘が「あっ」と言って足を止めた。

視線の先には、ファンデーションかチークかの小さなコンパクトがあった。
いや、普通のコンパクトではなかった。
真ん中に宝石のような飾りがついて、その周りを金属でメッキされたような模様が取り囲む、セーラームーンの変身コンパクトと言われても全く違和感のないものだった。

「かわいい〜」(んギャンワイイいいいいいいいい!!!!!!)

リアル5歳児・娘の声に被せるように、私の心の中の5歳女児が叫んでいた。
私はセーラームーンど真ん中世代で、保育園での遊びといえばセーラームーンごっこだった。
そして、変身コンパクトやステッキ系のおもちゃは、私の生家では絶対に絶対に買い与えられないものだった。
あの頃の憧れが、具現化されたものが目の前にある。しかも結構安い。
(セーラームーン公式の化粧品等が販売されたことがあったが、なかなかのお値段だったと記憶している。)

「いーなー、ほしいなぁ。ね、かわいいよね。」
うっかり買いそうになった。経済的にはそりゃあ全然買えた。

「買わないよ。ほら、行くよ」
「えー、かわいいのにぃ」
自慢じゃないが聞き分けの良い娘は、もうこれから乗る予定のエレベーターの方を見ていた。
私はちらりと、もう一度コンパクトを見た。
「買わないよ」に続く言葉をさがしたが、うまく見つからず私も歩き出した。

***

思えば、両親は「与える」「与えない」のジャッジに妙に厳しかった。
小学生の頃、自宅にはほとんどお菓子がなかった。
それでも40分ほどかけて下校してくれば、お腹は空く。
仕方ないので、3つ上の兄ときゅうりの浅漬けを作ったり、卵かけご飯を作ったりしておやつ気分を満たしていた。
5つ上の姉が、読書をしながら塩を舐めていたのには閉口した。
塩飴とか、塩煎餅ではない。塩化ナトリウムだ。
ちなみに兄は、森永ミルクココアの粉を舐めていた。

別に子供たちを飢えさせたいわけでも、夕食前に食べさせたくない訳でもなかったと思う。当たり前にお菓子の溢れた環境で育ってほしくなかったのだろう。
休日には父が大学芋やポテトチップスを作ってくれたり、母とりんごを煮てアップルパイを作ったりと、楽しい思い出はたくさんある。

前述の通り、オモチャの選別も厳しかった。
たまごっちNG。変身グッズ系NG。ゲーム機NG。
なぜかPCゲームはOKで、「シムシティ」とか「信長の野望」ばっかりやっていた。

ファストフードも大体NGで、マックやケンタ、ロッテリアはテレビの中の食べ物だった。モスバーガーだけOKだったのは、なぜ解るのか分からないけど、解る。

門限も厳しく、高校生になっても放課後友達とカラオケに行くなどもってのほかだった。
子供に与える自由は子供相応の範囲で、という考えだったのだろう。
大学生になって初めて、「集団でカラオケに行くときは順番に歌う」という文化を知った。

そんな両親だったが、興味を示したものに対しては惜しみなく与えてくれた。
テレビで観た画家の安野光雅が好きだ、と言うと、父は田舎の小さな本屋でだが、画集を見かける度に買ってくれていた。
一緒に安野光雅の展覧会に行き、額に入った小さな絵を買ってくれた時の嬉しさは忘れられない。
谷川俊太郎が好きだと言うと、やはり小さな本屋で「みみをすます」の絵本と「二十億光年の孤独」を買ってくれた。
私だけでなく姉・兄も、推理小説だったり古地図だったりをよく買い与えられていた。

母は、裁縫が趣味で、よく私に服を作ってくれていた。
4歳の頃、裁縫をする母をじっと見ていたら、小さなマロンクリームちゃん柄の端切れと、糸を通した針を貸してくれた。
教えてもらった波縫いを黙々とやり、いつしか布同士を縫い合わせると言うことを覚えた。
裁縫は私の趣味になり、独学なりにブラウスやウールのロングコートを作ったことがある。

大学進学とともに一人暮らしをするようになり、私の「与えられなかったもの」への欲求は爆発した。
アパートの近所のマックに入り浸り、コーラとハンバーガーを貪った。
ケンタッキーに初めて入った時は、普通の唐揚げだと思っていて、オリジナルチキン5ピースを単品で注文して死ぬ思いをした。
22時半に友人に「今から遊ばない?」とメールして着替える時の高揚感。
24時間営業のカフェバーで、朝まで、お子様なりの人生観を語ったりした。
この全てが、当たり前に「与えられた」ものであったなら、こんなに魅力的に輝くことはなかっただろう。
その頃、同じく家を出た兄はゲーム機を2台買い、真面目な姉はさくらんぼ1パックを1人で全部食べたと自慢してきた。

両親の「与えない」という選択の結果。
それは彼らが「与えた」ものに比べれば全くささやかなものだけれども、彼らの意図しないところで私の人生に忘れ難い彩りをくれた。

***

イオンのエレベーターを降りて、靴下屋に入った。
「好きなの3足ずつ、選んでいいよ」
夫がそう言うと、娘たちは3足1,000円の靴下のかかった回転ラックの周りを何周もし、自分たちなりの最高の答えを探し始めた。
私は、さっき言いたかったことがやっとまとまった。

「ねぇ、みいちゃんさ。」
「んー?」
「お母さんさっきの買わなかったじゃん。
 でも、買わなかった分、大人になった時にもっと良いものが手に入ると思うよ。」
「んー」

娘は、そんなことどうでもいいと言いたげに、靴下を手に取り比べていた。
私は、
「色違いもあるじゃーん」
と、ピンクのうさぎさんの靴下を差し出した。

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