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僕らはクリエイティブを尊重することを忘れなければいい

はじめに

今日は「ゆる言語学ラジオ」と「プリンセスコネクト!Re:Dive Season2」からクリエイティブに対する僕ら消費者としてのあり方を考えていきたいと思う。
クリエイティブと書いてるけど、まあアニメとかもっぱらそういうオタクコンテンツのことだ。

タイトルに結論が書いてあるね。気恥ずかしいね。日記なんだから好きなこと書かせろ。

クリエイティブとはなんぞや

僕は最近ゆる言語学ラジオを聴きながら寝ている。

ゆる言語学ラジオ
言語学をテーマにしたラジオ番組。
教養のあるトークが興味深く、それでいて解説がわかりやすく頭が良くなった気分になれる。
日本のポッドキャストの一番を決めるJAPAN PODCAST AWARDS の第3回にて「ベスト ナレッジ賞」とリスナーによる投票「リスナーズチョイス」のW受賞したことからも間違いなくおすすめできる。
あと堀元さんが良い性格をしている。
なんだこの解説。バカっぽいな。

…ちょっと待ってほしい。いずれアニメの話になるはずだ。
このラジオではパーソナリティが作家だったり読書家だったりするためか、たびたびクリエイティブについて論じられたりもする。

「徹底討論 赤ちゃんはクリエイティブ?【赤ちゃんと創作1】#112」もそんな感じだった。

赤ちゃんがぬか床をかき回すことを「ぬか床を耕す」と表現したという。詩的な比喩でありつつ的外れでもないと感じる。
では知識のない赤ちゃんがそんな比喩を行えるのはどうしてか?

その回答を探っていくのが本編であるがここでクリエイティブについて定義づけられる。

クリエイティブとは制約を外れようとする動きである。

制約
① (━する) 条件をつけたり枠をもうけたりして、活動の自由を制限すること。制限。束縛。
② 哲学で、物事の成立や生起に必要な条件または規定。

精選版 日本国語大辞典より一部抜粋
(https://kotobank.jp/word/制約-546519)

ハンターハンターか!?となったオタクがいたら嬉しい。僕はクラピカだ!ってなりながらこの回を見てた。
しかし、制約と誓約のオタクに申し訳ないが、今回は②の意味合いが妥当だろう。
今ある常識・認識をくつがえすこととも言えるかもしれん。

ぬか床の言葉に対して普通に言葉をあてはめるなら「混ぜる」だ。
「混ぜる」という言葉は汎用性が高く、「耕す」というのは畑へむけた限定的なものというのが普通だからだ。
料理をする際に2つの調味料をかけ合わせる際にもだいたい「混ぜる」が使われている。どうやら組み合わせの素も選ばないぐらい汎用的だ。

まぜ蕎麦の「まぜ」も蕎麦に向けられているから、僕らは生卵と蕎麦をぐちゃぐちゃにする。
ところで卵は単体で「溶く(とく)」と言うことに気づいてしまった。今はその話は関係ない。なんでまぜ蕎麦は「ときそば」じゃないんだとか思ってしまった。うるさい。その話は今じゃない。邪魔だ。

つまり「ぬか床を耕す」という言葉に僕らは詩的な表現だと感じる理由は、それが「制約から外れている表現」だからだ。

転スラではスライムは最弱という「制約」を思い切って外れて魔王にまで辿り着く行程にオタク心をくすぐられる。
つまるところ、そういう制約を外れようとする動きでクリエイティブはできている。

なぜ赤ちゃんがぬか床を耕やせるのかについてはぜひ本編を確かめてほしい。

僕らはみんな…「制約」

僕ら消費者はクリエイティブへ反応をする際にこの制約にハマりがちである。
こいつは厄介だし、僕は良くないことだと思っている。

いや、語弊を招いてはいけないからもうちょい丁寧に言う。
クリエイティブへ反応をする際に、制約にハマることが良くないと感じる。

制約にハマることに、僕にとってとても身近なことに「インターネットミームを使うこと」なんかがあげられる。
ツイッターにしばしば可愛い女の子のファンアートが流れてくる。いや僕のタイムラインだけかもしれないが。最近はきわどいブルーアーカイブの絵が流れてきて、嬉しくてゲームをインストールした。
そんなファンアートのリプ欄を覗いてみると、あまりの可愛さに別の女の子がうれし泣きしていたりする。百合で嬉しい…わけでもなく、うれし泣きのほうは誰かが描いたイラストをそのまま使用されている返信だったりすることが多い。
この画像ツイートに対して、自分の言葉を「誰かが生み出した型」へ分類している行為ではないか、クリエイティブへの反応に対して「クリエイティブと正反対な動き」で返すのは失礼ではないだろうか、と思うわけだ。

僕はミーム自体が悪いと言っているわけではない。そもそも内輪ネタで遊んでる人に「制約にハマることはクリエィティブではない!」と怒り狂っていたらやべえ奴だ。僕は友達になりたくない。

だからクリエイティブへ反応をする際に、制約にハマることが良くないと思うことを強調したい。
世の中の「てえてえ」とか「〇〇はいいぞ」なんかに僕が苦い顔をするのはそういうことだからなんだと思う。

僕らは面白さの主導権を持っていたい

さて、これまで僕がVtuberの花芽すみれさんの配信で「くしゃみたすかる」とコメントしたり、シンデレラ3rdライブへ行った際にはその感想を「アイマス最高!」だけでとどめてしまってきたと告白をしてきた。(※1)
なんでこう僕らはクリエイティブを無意識に失礼な態度になってしまうんだろう。

それは僕らがクリエイターではなく、消費者だからだ。クリエイターでなければクリエイティブをする必要がない。いや、当たり前すぎる。
新しいものを見た時に制約の中で反応することは楽だし、そうやってミームを投げている時はクソ楽しい。

ここでまた「ゆる言語学ラジオ」からの引用である。
いい加減「プリコネはどうした!」と言われそうだが、あと少しの辛抱だ。待ってくれ。頼むよ。

「(僕らは)面白さの主導権をこっちで握っていたい人たちだから

これは読書を楽しむうえで大事な点を一読者として発言していた。
しかしオタクコンテンツ、そしてミームを使う理由にも適用できる気がする。
さっきからオタクに置き換えてばっかだな……なんかすまんな…………。
ゆるオタク学ラジオのオファーをお待ちしています。

オタク文化側の例として「ツイッターとバルス」とかがある。
「天空の城ラピュタ」がテレビで放映されている時、ツイッター民の間で作中の「バルス」というセリフをせーので呟くのが恒例だった。こいつの影響?でツイッターのサーバーが落ちたりなんかもした。
しかしテレビ局がそれを拾い上げて、「ツイッターでみんなでバルスとつぶやこう!」と宣伝してしまって、その時は一致団結どころか、テレビ局への批判的な言葉が溢れて実況どころじゃなかった。
「面白さの主導権」が自身から離れていたからこそ、自分の好きなものを取られた気持ちになっていたのだ。
なんとも面倒なことに、同じことをするにしても「主導権を握っていたい感情」を逆撫でしてはならないのだから、マーケティングをしている人は難儀だと思う。

話を戻そう。
女の子(二次元)を見て「萌〜!」とつぶやく行為は少なくとも「面白さの主導権」を握っている。
できた文化の中やミームにいる時は、自分が面白さの主導権を握っているから楽しい。
しかしそれはクリエイティブとは正反対であるから僕は好ましく思っていないというのが今回のお話だ。

目には目を、歯には歯を、悪には悪を
クリエイティブには……?

お待たせしました。話をまとめる。
今までのは全部アニメの感想だ。

プリンセスコネクト!Re:Dive Season2 3話「不思議な森のティーパーティー~アフターヌーンは危険な香り~」がとても良かったという話だ。

聖テレサ女学院に通い象牙の塔に学ぶ者こと、ユニさんのお当番回となっている。
いやーーー彼女が素晴らしかった!!!

彼女は世界(ランドソル)に虚構があると仮定し世界を対象とした研究をしている。
そしてランドソルは「神によって創造(クリエイト)された世界」である。
彼女は自ら「創造物」の虚構に気づいた。
そして、クリエイティブへ仮定と推論という無尽蔵のクリエイティブな消費を繰り返すことで真理へ近づこうとしている。

彼女は世界の制約に疑うことで、ハマることなく向き合っている。
「この世界には大きな欺瞞がある」と言う彼女はとても美しいのは
……彼女のあり方がクリエイティブだからである。

やあ、世界 今日も欺いてるね。
僕は世界の真理を暴かない。
勇者でも英雄でもない僕は、
ただ1人
胸の内で愉悦に微笑むだけだ。

プリンセスコネクト!Re:Dive Season2 第3話

コンテンツの消費として尊いのはユニのようなレスポンスではないかと強く思った。
クリエイティブへの謝辞はクリエイティブであればあるほど美しい。
そもそも「模倣(ミーム)の正反対にあるものこそが創造(クリエイティブ)」である。(※2)

それでいて彼女は面白さの主導権の手綱を他の誰にも渡さない。教授に論文を認められなかったとしても彼女は何も揺るがないように、その楽しさは誰にも奪えない。

だから彼女は、乾く知的好奇心に水をやることでこんなにも満ち足りた顔ができる。

……………………………………………かわいい。えへへ。

おわり、書き疲れた。

僕らはクリエイターではないからクリエイティブをする必要がない。
再三そう書いてきた。クリエイティブはとても疲れるし、そもそも娯楽なんだから疲れたくない。

僕は、僕ら消費者はクリエイティブを尊重することを忘れなければいいと思う。
その時にユニさんを思い出せたらもっといいなと思う。

制約にハマることがどんなに好きじゃなくても人に強要できるものではない。
消費者とクリエイティブの話と書いたけど、これは僕がユニさんを見てこうなりたいなと憧れた話でしかない。
だから今日の日記は僕の自身に向けた制約と誓約である。

可愛い女の子のお絵描きツイートが流れてきたら「太ももがえっちなのか、ふくらはぎがえっちなのか」そういうことをリプライして感謝したい。
しかしまあ、あわよくばそんなものが満ちた気持ち悪い世界を見てみたい。



※1 くしゃみたすかるもアイマス最高もクリエイター側が文化として認めているかもしれないが、今は消費者とクリエイティブの話をしている。

※2 クリエイティブの対義語として模倣(ミーム)と書いてるが、模倣(mim)はミーム(mimeme)の語源である。
かっちょいい文章を書きたかったので許してほしい。

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