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【掌編】我が家のオリンピック

「えっ! オリンピックをうちで?」ぼくは驚きを隠せなかった。「まさか、ご冗談でしょう?」
 突然かかってきた電話の相手はCIO(国際オリンピック委員会)のえらい人らしかった。えらい人は、さいしょフランス語で話し、途中からは通訳をあいだに挟んでその要件を伝えてきた。
 どういった理由なのかは何度きいても理解できなかったが、とにかく我が家でオリンピックを開催するつもりらしい。体育館や運動公園などではなく、うちの敷地で。田舎なので、たしかに都会にくらべればすこしは土地が広いが、それでも普通の一軒家だ、とても競技ができるようなスペースはない。ぼくは断りたかった。しかし相手は都合がわるくなるとフランス語で喋りはじめ、最後は「どうかご検討を」と言って電話を切られた。
「おい、困ったことになったぞ」
 夕飯どき、ぼくは妻や子供たちにオリンピックのことを話した。けれど困っているのはぼく一人だけで、ほかの家族らは我が家オリンピック推進派なのだった。
「あら、いいじゃない! うちでオリンピックだなんて光栄なことだわ!」
 あまりに楽観的すぎる。妻は見栄っぱりな性格で、ご近所に自慢できるとでも考えているのだろう。
「勘弁してくれ。いったいこの家のどこで競技ができるっていうんだ!」
「えー、向こうがやりたいっていうんだから、やらせてあげればいいでしょう? ねえ」
 子供たちもオリンピックには大賛成らしく、姉妹そろってきゃっきゃと燥いでいた。きっと運動会くらいのことと思っているにちがいない。
「だったらマラソンはどうする? うちにはトラックなんてないぞ?」
 妻は数秒のあいだ神妙な面もちになり、
「・・・・・・オリンピックって、たしか夏の開催だったわよね。もうすこし時季が遅ければ、稲刈りのあとの田ん圃をつかえるのに。難しいわね、やっぱり家のまわりを回ってもらうしかないんじゃないかしら。庭木をちょっと剪定すれば・・・・・・」
 と、まるで独り言のようにいった。ぼくは家のまわりを走らされるオリンピック選手たちを想像し不憫に思った。
「柔道は?」
「畳の部屋があるじゃない」
「水泳は?」
「大きめのビニル・プールを買うしかないわね」
「アーチェリーは?」
「それこそ田圃を使えばいいわ! あっ、案山子にマトをつけるなんてどうかしら?」
 恐ろしいことに妻は本気でそのアイデアを実行しようとしているのだった。
「ねえ、あたし聖火ランナーやりたい!」
「いいなー! あたしも、あたしも!」
 娘たちは娘たちで盛りあがっている。うちの家族はもうダメかもしれない。ぼくだけで、なんとかこのオリンピックを阻止せねばと決意した。
 翌日、会社から帰ってきたぼくは《オリンピックはぜったいにお断りします!》という文章をフランス語に訳そうと悪戦苦闘していた。丁度そのとき、
「ごめんくださァい」
 玄関扉がガラガラと開き――この町内のひとたちは決してチャイムを押したりしない――町内会長ら、町のお偉がた数名がうちを訪ねてきた。老人たちは皆にこにことしている。
「会長さん、どうかされましたか?」
「水くさいなあ君というやつは。奥さんから聞いたよ、オリンピックのこと。来年、ここで開催するんだろう? いや、素晴らしい! まったく素晴らしい! きょうはそのお祝いに一言と思ってね」
「・・・・・あの、そのことなんですが、会長さん」
「ここでオリンピックが開催されればわが町も大いに賑わうこと間違いない。なあ、みんな」もちろんです会長、と取り巻きたちが口々に言った。「これはこの町はじまって以来の一大イベントになるぞ。この町の未来のためにも、必ずや招致してくれたまえよ。われわれ町内会も出来るかぎりの応援はしようと思っとる」会長が語りおえると拍手が起こった。そして、老人たちの目はだれも涙で濡れているのだった。あんまり熱心に語るものだから、オリンピックを断りたいだなんてとても言い出せる空気ではなかった。
「いよいよ、困ったことになったぞ・・・・・・」
「あっ、聞きましたよ部長」
 会社の喫煙スペースで一服していたところ後輩の一人が声をかけてきた。
「お宅でオリンピックを開催するんですってね」
「おい、誰に聞いた?」
「誰って、いやだなあ、みんな知ってますよ。町中のうわさですから。うちの息子も羨ましがっちゃって。娘さんたち、聖火ランナーやるんでしょ?」
 ぼくはイライラして2本めのタバコに火を点けた。
「なあ、本当にうちでオリンピックなんて開催できるなんて思ってるのか!?」
「・・・・・・ちょっと、怒鳴らないでくださいよ。えっ、やらないんですか? オリンピックの開催地に選ばれるなんて、こんなスゴイことないじゃないですか。部長が嫌だったら代わってほしいくらいですけどね」
「じゃあ代わってくれよ、頼むから!」
「もー、無理に決まってるじゃないですか。だって、それは委員会が決めることでしょ?」
 タバコがじりじりと燃える。ぼくはどうしても我が家でオリンピックが開催できるとは思えなかった。
「休憩中のところ申し訳ないのですが――」そう声をかけてきたのは、社長秘書の女だった。タバコは嫌いらしく鼻を抓んでいる。「社長がお呼びです」
 だいたい何を話されるのか予想はついていた。社長室につくと、案の定、社長はオリンピック絡みのことを語りはじめた。タイアップとか、我が社の命運とか、そんな話だ。オリンピック、オリンピックと、こっちの都合はお構いなしに、みんな浮かれきっている。まじめに勤めてきたつもりだが、今日ほど社命なんて糞くらえと思った日はない。
 午後からの仕事は、体調が悪いといって早退きさせてもらった。とても仕事ができるような精神状態になく、傍目にも顔いろは悪かったにちがいない。オリンピック開催地に選ばれたためか誰もがそんなぼくに優しく、ふだん話したりしない他部署のひとたちまでも気遣ってくれた。オバさん連中ときたら、デスクの抽斗から出るわ出るわ大量の菓子類、それを具合が悪いからといって断るぼくに無理やり握らせてきた。ねえ、オリンピックのチケット、いい席でお願いしますよ。と、オバさんの一人はあざとく言った。
 帰りみち、ぼくは山のような菓子をかかえ、土手を歩きながら《オリンピックはぜったいにお断りします!》というフランス語の発音をくりかえし練習していた。しかし本当に断ってもいいのだろうか。みんながオリンピックに期待しているのに、ぼくが嫌だという理由だけで。
 我が家に着くと、ジャージ姿の妻とそのママ友たちが家のまわりを息を切らせて走っていた。選手役だけでなく観客役のママたちもいて、田ん圃のあぜに敷いたピクニック・シートから声援を送っている。がんばれー、がんばれー! 一周するのにだいたい一分もかかっていなかった。そりゃそうだ、ただの一軒家なのだから。コースは狭く、抜いたり抜かれたりという白熱した展開もない。それでも誰もみな一生懸命に走っていた。選手も、観客も、みな真剣だった。運動ぎらいの妻は最下位になっていたが、それでも最後まで走りきる姿には夫ながら胸うたれるものがあった。
「あら、あなた、帰って、たの・・・・・・」とぜえぜえ呼吸をしながら汗だくになって妻は言った。「みんなで、オリンピックの、下見を、してたのよ・・・・・・」
 妻は手渡されたスポーツ・ドリンクをいっきに飲みほすと、これでマラソンは大丈夫そうね、と笑顔になって言った。金メダルのママ友がやってきてそんな妻にハグをする。
「ムシュー、ご検討いただけましたかな?」
 その日の夕方、またCIOのえらい人から電話がかかってきた。相手はフランス語だったが、何を訊かれているのかはおよそ理解できた。ウィ。と、ぼくは言い、周章(あわ)てて準備したフランス語でたどたどしく、しかしある覚悟をもって答えたのであった。そのときのセリフは、翌年、史上まれにみる最悪のオリンピックとして世界を震撼させた我が家五輪の、もっとも愚かしく、恥ずべき歴史の記録として後世まで語り継がれることになる。

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