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私じゃない方が良かったかな4月17日

ウサニ




 5年来の仲であるお兄さんから先日野島伸司の『ウサニ』の文庫本をいただいた。
 積み読をしがちな私だけれど、丁度ジョルノが壊れたタイミングだったものだから電車移動が多くって、通勤電車の中だとか病院の待合室だとかで黙々と読み進めていった。
 電車などでスマホを触っていると画面を覗き込んでくるおじさんがいるように、本を読んでいても覗き込もうとしてくるおじさんはいる。『ウサニ』は濡れ場の多い小説であり、性愛と純愛の押し問答が続く作品だ。たまたまそういったページを開いている時におじさんに覗き込まれたら堪ったものじゃないなと緊張していたのもつかの間、私の読むスピードの方が速かった。

 ウサニをいただいたのは、私がうさぎ先生を紛失し再会した出来事からお兄さんが連想してくださったのがきっかけだ。
 

 うさぎのぬいぐるみを紛失してからというもの喪失感で、心に穴がぽっかりと開いてしまっており、二度と会えないのではないか、もう世界のどこにもいないのではないか、いたとしても私の知らないところで暮らし続けるのだろうかとか、ゴミに紛れてしまうのだろうかとか、誰にも気づかれずに茂みの中ジッとしているとか誰かに拾われて他の家の子になるだとか。
 そういう想像をするごとに胸が締め付けられ、どんな幸福であろうと絶対に許せない、とにかく私の手元に戻ってきてほしい、私と一緒にいてほしい、というエゴを大爆発させていた。

 ぬいぐるみの扱いは異性への扱いだと言われている。粗雑にぬいぐるみを扱う人は恋人を大切にしないし。ぬいぐるみコレクターとか飾っておくだけの人は異性とときめく恋はしないのだろうな。
 私はぬいぐるみを抱きしめて寝たりどこにでも連れて行ったり、かと思えばその役割が違うぬいぐるみに代わっていたりする。ある程度甘々な扱いをした後に唐突に浮気が始まり行ったり来たりを繰り返すタイプだ。実際、人間との恋愛もそんな感じであったと思う。ここ最近恋愛をしていないのであまり記憶にないのだけれど。
 そうそれで、「ぬいぐるみに対してもそういう感じなのだから人間と恋愛なんてしない方がいい」という気持ちがある。
 ぬいぐるみに対して、というかあらゆることに対して。飽き性であるし。自分のこともあまり大切にしていないし。友人や家族に対する態度等から考えても恋人なんて作らない方がいい。どう振る舞うかもう今から分かっているし、ある程度努力でどうにか取り繕えたとしても余裕がない時に現れる本性で相手を傷付けることがもう今から確定しているのだから、ね。
 実際、『ウサニ』で主人公がウサギのぬいぐるみウサニに対してした振る舞い・行いを後々悔いていく。自分の愛し方だとか振る舞いだとかを恥じる場面が存在する。
 読んでいても「なんてことをしてくれたんだ」という場面が二か所ほどあって、「だから人に対してもきっとそうしたに違いない」と自問自答の末に着地してしまうところには大いに同意である。分かる。多分すると思う。激昂した時ウサニの話聞いてなかったもんな主人公。なんなら暴力性もあるもんな君は。

 

4月5日のこと

 ウサニを読んで、あの子をお迎えに行かなきゃなと思った。
 
 4月5日に母と小野浦へ行った際、まちの駅で見かけたウサギの人形のひとめぼれをしてしまった。地産野菜やお土産などのコーナーの奥に、ハンドメイド委託のコーナーがあって、そこにはドライフラワーだとかハーバリウムだとか編みかごやピアス等、そういった場所によく置いてあるような手作りの品々が並んでいたのだけれど。
 その中にひときわ目を引く人形がいた。
 白いちりめんのウサギが立派な着物を着せられて凛と立っていた。
 40センチほどの大きさで、白の生地やそのサイズが目立つというのもあるのだけれどそれ以上に、姿勢だろうか。彼女は絶対に私のものになるのだとその一瞬で執着をした。
 けれど情けないことに、私はその日財布を持っていなかった。
 彼女は35000円ほどであってもおかしくはない造形であったにも関わらず、たったの5000円で他の手作りのアクセサリーなどと一緒に並べられてしまっていた。絶対にそんな値段であるはずがない。0が一個違うかもしれない。そう思いながらも見入ってしまった。
 親に立て替えてもらうというのもできたと思う。実際、母は私がそのウサギに一目ぼれしたことは分かっているようで絶対迎えに来るでしょと言われた。次来た時にまだいたらお迎えする、と私は言って。その時点でエイプにお金を支払い納車待ちの段階だったものだから、次ここまで来れるのっていつ頃だろうと思いながら、夏までにはお迎えにきたいと思った。
 それまでにいなくなるのなら幸せになってほしいけれど、でも、できれば私の名古屋の部屋に来てほしかった。
 
 彼女は黒の着物を着ていて、明らかにそれは人間の着物を切って縫ったものであった。裾の方の縫い方は甘かったけれども、人の着物をウサギの着物へと小さく縫い込んでいる技術も勿論のこと、ウサギに対してそういった着物を拵えるという愛情、そうして彼女が精いっぱいに着飾り花まで持たされているという「大切に送り出されたような」装備と、けれども寂し気に思えるほどまでに堂々としたそのいで立ちにどうしても心奪われてしまった。

 

ふわふわたっとん

 去年の4月にサメちゃんをお迎えしたのだけれど、今年も4月にサメちゃんが届いた。
 なんとなく体が疲れていたので昼過ぎまでダラダラと寝て過ごしかけていたのだけれど、インターホンの音で跳ね起きた。慌てて玄関へと行き佐川さんから荷物を受け取り開封すると、昨年の春同様に可愛らしいサメちゃんたちが詰められていた。
 

 ポーチとパスケースが販売される、あとぬいぐるみもSサイズが再販になるとアナウンスされたのが先月のことで、絶対に買うぞとお金を手元に残しておいていた。でもジョルノ壊れちゃったのもあって全然お出かけできずにいたからもう販売が始まっているのか分からなくって調べてみたら、楽天市場で取り扱いがあったものだから見付けたその日のうちに購入した。
 出荷日とかそういうの全然見ずに買ったのだけれど、思いのほかすぐに届いた。

 今日、海に行くことは先日祖父母の家へ行った時あたりから薄っすらと決めていた。ここまで来れるんなら海も行けるな~とかのんびり考えていて。元々は水曜は雨予報だったから諦めていたのが雨が昨日にずれ込んだことだし、折角ならと出かけることにした。

 朝、たっとんを受け取って。
 それから文学フリマの本を入稿したのでその支払いに近所のスーパーのATMへ行き、そのスーパーで自社ブランドのお茶を2本購入してそのまんま、小野浦海水浴場とナビに入れて向かうことにした。
 

小野浦

 

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