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いつも黒い犬と共にいる

 兄の自転車を借りることになったので、朝いつも通りの時間に起きて身支度を済ませ、徒歩で30分かけてまずはTSUTAYAへ行った。ヒロアカの新刊の発売日だった。それをリュックに入れて、35分ほど歩いて地下鉄の駅へと向かった。
 地下鉄の中でヒロアカを読んでいると案外時間が過ぎるのは早くって、実家の最寄り駅に着くとホームは新入生とその保護者たちであふれかえっていた。高校や大学が幾つかある駅なのだ。
 それらをかき分けて実家へ行くと父親がいて、自転車は祖母の家のガレージに置いておいたと言われた。

 何かしら昨年から書いていると思うけれど、私は父方の祖母から散々いじめられてきたので一昨年の夏以降会っていない。ガレージなんかに入れられたら開ける音でバレてしまうじゃないかと思いながら祖母の家へ行きガレージを開けると、庭の向こうから「〇〇ちゃん?」と私を呼ぶ声が聞こえてきたが、それを無視してサッサとツーロックを解除して自転車を持ち出した。歩道に出て跨ってみると足が地面につかない。あと、ブレーキが固すぎるし途中までしか動かない。
 これは危ないだろうと思って一度実家まで戻り父に外へ出てきてもらってみてもらった。
 足つかないと言うと父が跨って、つくだろうと言った。
 「これでつかないとかどんだけ足が短いんだ」と言われた。
 その一言に何か返さなければならないのだろうか、と思った。子供の頃からそういった軽口のつもりの暴言に返事をしないと両親も親戚たちも返事を促してきた。自分に対する暴言に何と返事をすればいいのか、当時も分からなくて黙っていたら「この子知恵遅れだから何言われてるのか分からないのよ」と私の目の前で彼らは喋り続けていた。
 どうして家族なのに、私だけ感覚が違うのだろうと長年思っていた。
 こんな人たちの家に生まれたのにどうして私だけ傷付くのだろう、そういうのがおかしいと思ってしまうのだろう。そして、我慢してしまうのだろう。家族なのに分かり合えなくて、家族はいつまでも黙っている私のことをバカにし続けていたし、何を言ってもいいと思っていたようで、私が関東に行くまでずっと好き放題の暴言を投げかけられ続けていた。
 高校でいじめが深刻化し学校へ行きたくないと訴えた時も担任に電話するために卒アルで生徒の名前を確認しながら「おまえより美人じゃないか。おまえブスだから仕方ないだろう」と両親から言われた。
 両親はそんなこと言っていない、あんたをブスだと思ったことなんて一度もない、と未だに当時の言葉を否定しているけれど、その一言が原因で今日まで美容整形をやめられずにいる。

 父がサドルの高さを調整し、ブレーキはこれが普通だろうと言われたので気を付けてそのままアパートへ戻ることにした。
 足がつくようになって多少漕ぎやすかったものの、実家から私のアパートまでは坂があまりにも多い。上り坂はあまりにしんどすぎるし、下り坂はブレーキをかけながら下ろうとするとブレーキがキィキィとけたたましい金属音を轟かせる。そのあまりの高さと大きさに私だって耳をふさぎたいほどだった。油をさしていない。あとやっぱりこの状態が普通とは到底思えない。
 重すぎる上り坂とけたたましい音を響かせる羽目になる下り坂にすっかり疲弊し、こんな自転車使い物にならないと思いながらも返しに行くのもしんどいしアパートへ戻る術がないため仕方なくそれを漕いでいったのだけれど、グーグルマップでは自転車で45分ほどと書かれていたはずが1時間以上帰宅に時間がかかった。
 急な長い下り坂をひたすら騒音を響かせながら降りて行く間、なんで折角の連休初日をこんなくだらないことに使わなければならないのかと悲しくなった。こんなものを使うことはできないため、自転車は近所のコンビニに放ってアパートへ戻った。
 こんなもののために遥々地下鉄駅まで歩いて苦手な地下鉄に乗って実家まで行き、実家から延々と疲れながらアパートへと戻り、一体何の時間だったのだと本気で思った。脚がすっかり疲れてしまっていたし、暑い中酷い運動をしたために顔は真っ赤になっていた。
 冷えピタを両頬に貼りながらしばらくぼんやりとした。

 

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