じゃあお前に何が残ったというのか。

タイトル通り。

自分の辿ってきた道のりを考えて、ふと積み上げてきたものがあるか、ないか。って大事だと思いませんか。別に宗教的な話をしているわけではなく、ただ振り返ってみて、人生を山登りだとして、頂上にたどり着くまでに何をしてきたかというのがわかる人生、わかりにくいがなにかやっている人生、何もしてこなかった人生。色々あると思うので、筆者の人生の分析を考えてみた、そんな感じです。

ふとしたところで注意書きなのですが、別に何かをやってきたから偉いとか、何もしなかったから駄目なのかというとそうではなく、

面白いほど語れる人間であり、かつそれを誇示できる人間というのは自己評価が高いだけでただのつまらない人生というのも勿論ありますし、逆も然りで何もしてこなかったと悲観している人間でも自己評価が低いだけの人間もいます。多分僕は後者。

じゃあ何ができて、何ができない。それを語っていこうではないか。

まず、趣味としてやっていること。

スマホ買うことぐらいじゃないですかね。

プログラミングもできなければ、四則演算だって疲れてりゃ間違うし、タイピングも早いかと問われればそういうわけでもないというところだし、noteの更新もままならない。じゃあここまで何をしてきたのか。

職場で一度考えたんですよ。仕事と向き合うために(なにかのセミナーに行ったわけではなく、単純作業中にね?)

そう考えると、会社では右に倣え。上から下から来るのをただただbeatmaniaしてるような感じだし、パソコンを使って書類を書きなさいと問われればハイと答えてただ書類を作ってそれで勤務時間を潰す。そんな仕事をするような仕事をやっているおかげで結構暇である。実際は暇ではないし、営業みたいな側面もあるから、仕事した分満足感は得れるし、それに対して人生の満足度だって上がるわけ。それをやってこなかったということは悪い人間じゃないか。それこそが、最初に注意書きのところで書いたことであり、かつここでの罠である。

実際何かをやっていて、自分がそれに対して苦を強いられなければ、喩えるならば、自分のやれることに対してそれは評価を自分からぶん投げているわけですよ。実質思考停止状態。自分は何もできない人間だということを誤認知することによって自分が何ができるかを濁す。そういう人間だったんだなってわかる。ただそれだけですが、それだけなんです。

私にはそれしか無いんです。とはいえそれが全部杞憂の激しい人間だったり、うつ症状が出ているというわけではない。ただ、今までの成功体験がすくなく、褒められた数がすくないという人間はそういう評価しかできなくなってきているということ自体が問題なだけで。それは個人的な問題じゃない。テレビもその他メディアでもそれに対しては誰も突っ込まない。だって、その事を考えている人間自体がそんな表舞台で活躍していないから。自分似悲観的であっても、別にいいやという答えが出たのは私はつい最近だったような気がした。

なんとなくのなぐり書きですがお許しください。

別に話を聞いてほしくてこれを書いているわけではないのです。よくわからない気持ちで、思考停止して書いているのかもしれません。

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