社会人のモチベーションの保ち方について

子どもの時、よく大人から「子供は楽で良いよな」って言われたり、「子どもの頃に戻ってみたいわー」とか言われたりした。そんな時自分は「宿題だってあるし苦手な給食だってあるし嫌いな授業もあるから子どももしんどいわ」と心の中で思っていたのだが。
社会人というのは、子ども、学生にとっては一つのゴールだ。むしろ子どもや学生は立派な社会人になるために教育を受けたり、色んな経験をしていく。一部の人を除いて社会人というのはゴールでありそこからモチベーションを保つのが非常に難しい。さらに、社会人の終わりが約40年後という途方もなく先のことなので、なおさら働くということに疲れてしまう。特にサラリーマンはそれが顕著だろう。だから、社会人はしんどいのだ。5勤2休がずーっと続き、毎日同じ生活をするというのは思った以上にきつい。人生の中で見ると社会人というのは大きな流れ作業、ベルトコンベアの中にいるような感覚だ。仕事行きたくねーなーというのはこの規則で縛られた生活から一時的に離脱したいという尾崎豊的な叫びなのだと思っている。
さらに加えて責任というものが重くのしかかる。何かあれば自分が矢面に立たされるというのはメンタルが非常にゴリゴリと削られてしまい、なおさらモチベーションが低下してしまうのだ。その代わり自由度が非常に大きく様々な権利も行使できる。逆にオープンワールドが苦手な人が一定数いるようにその自由に翻弄される場合もあるのだが。
一方で子どもというのは小、中、場合によっては高校、高専、大学と定期的に区切りが登場する。
さらに1年ごとに学年が上がり新たなスタートという感覚が得やすい環境だろう。さらに、社会人よりは規則がゆるく責任も少ないため(そのかわり自由や権利は少ない)謳歌できる人はひたすらに楽しく過ごせるだろう。無論、自由が少なく合わない場合は環境のリセットがなかなかできず辛い日々を過ごすということもあるが。
このように、子供というのは半自動的に始まりと終わりが定期的に来るため、社会人が感じるようなゴールなき砂漠の中をひたすら重い荷物を持って歩く絶望感や虚しさを感じることは比較的少ない。だから社会人は子どもは楽でいいよなーと言ってしまうのかもしれない。我々社会人は重い荷物を下ろして休憩したい時があるが、それを許してくれない場合が多く、魔王を倒すための冒険がしたいのに、ラスボスがいないマップをただひたすら進まなければならない。
なので社会人にとってモチベーションを保つために必要なのは目的を持つことだと思う。学生の時は大会、試験、卒業、入学などさまざまな目的が登場したが、社会人は自分で目標を設定しないといけない。その代わり目標は何でも良い。結婚、昇任、お金稼ぎ、スキルアップから料理、筋トレ、セパタクローなど自分がやりたいと思ったことをすれば良いのだから。ただ、人間はなにかを自分で決断するということにストレスを感じる生き物なので、あまり頑張りすぎないように注意しないといけない。
長く続く社会人時代だが、それをどう生きるかは自分次第だ。少しでも良い人生を送るために、自分も色んなことを目標にチャレンジしていきたいと思う。

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