うまくいかない日

今日は何にもうまくいかない日だった。とにかく仕事でミスをしまくった。なんでこんなに仕事ができないのだろうか。
だが、仕事ができないと認識できることが大事なのかもしれない。仕事ができないと分かれば謙虚になれる。そして、周りの人の凄さを痛感する。しかし自分を責めすぎると後悔の海に溺れて気分が落ち込み最悪抑うつ状態になってしまう。そこの塩梅が大変難しいと思う。
自分は常日頃から、ちょっと失敗してすぐ落ち込んで自分を責めて周りに当たり散らり病んだことを言って周りから大丈夫のカツアゲをしてしまう人間にはなりたくないと思って生きている。また、自分はダメだと言い聞かせすぎると、悲劇のヒロインになったような気がして悦に入ってしまう時もある。いわゆる病み'sハイ状態だ。そんな時はいかに自分が不幸かを自慢して謎に周りの辛い出来事に対してマウントを取ってしまうのでまた周りに迷惑をかけることになるので、そんな人にもなりたくない。
謙虚で生きるためにはある程度自己評価が低くないといけないのだが、逆に自己肯定感が低すぎるとメンヘラ抑うつ一直線になってしまう。一本道のようだが微妙に分かりにくい分かれ道が実は存在する。いかに間違えず道を進めるかが大事だが、謙虚の道はイバラの道で奥が深い。
謙虚と謙遜とは違う。謙遜は自分に自信があり余裕があるからこそ生まれるものだ。例えば、褒められたときに「そんなことないですよ」と謙遜するが、それは心の底から思っておらずいわゆる社交辞令的な側面もある。吉本新喜劇や笑点のように、台本が決まっていてベタだからこそウケるみたいなものだ。たまにそんなことないですよのカツアゲをするために会話を誘導する人もいる。唐突な「でも俺はこの中では仕事できない方なんで」を差し込み「いや、〇〇くんめっちゃ仕事できるじゃん」の流れから「そんなことないですよー」を掻っ攫っていく。まるでルパン三世くらい見事な手際なので逆に感心してしまうが。
謙虚になれることは大事だが、謙虚になれと思いこみすぎてもいけない。自然に謙虚になれるようになりたいが、それがとても難しい。人間はすぐ調子に乗るし、すぐマウントを取りたがるし、すぐ病んで周りから心配を勝ち取ろうとする。だが、色んな状態を経てこそ最終的に謙虚になれる。できれば一回謙虚になれたらそのまま人生を歩きたいものだ。明日からの自分もまた、謙虚でいられるだろうか。

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