社会の保健室の窓から外を眺めて

愛ってなんなんだ

それが、私が福島から山形に自主避難したあとの問だった。

愛が欲しかった。

無条件で愛されたかった。

何もかもが出来なくなった私を誰も見てくれない、評価もしてくれない、そして、愛してくれない。

見ているのは外側ばかり。

私の本当の心の…魂の奥底に眠る…
遠い遠い記憶の中にある傷だらけの私の「何か」が夜になると震えだして、寒くて泣いた。

そんな夜が沢山あった。

声なき声で叫び、泣いた。

そして、そのなかで、
初めて、知った肉体の快楽があった。

虚しかった。

ただただ、虚しかった。

穢れていると思った。

でも、それしか逃げる場所もなかった。

愛が欲しかった。

誰かに愛されたかった。

愛がわからなかった。

確かめたかった。

どうして、目の前の命が、
愛すべきものが、
なぜこうして、
金、権力、身勝手な人間のエゴによって、
こうして目の前で引き裂かれていくのかわからなかった。
私の見ていた、見えていた世界の純白さの中に一点の曇りがあらわれて、
全体に拡がって、
私は海の底から太陽の光の届かないところにいるような気持ちになった。
生ぬるくて、ずっとそこにいて、
ずっと、その場所で留まっていたい、
もう、起き上がれなくなればいいとすら思った。


沢山泣き、そして、泣けなくなり、
無になって、死が目の前に横たわった。
でも、私はその先にはいけなかった。


あれから、沢山の人との出会いがあった。
長い年月だった。
愛と希望と、光を外に探す探す長い長い時間があった。


でも、ある時に言われた。
「わかなちゃんは希望の光なんだよ」
と。


死ぬことばかり考えていた私が
死の淵にたって深淵をのぞいたとき、
深淵がこちらをのぞいていることに気がついた。


そして、その深淵は私に私を見せつけてきた。

私は私でありたい
私は愛されたい
私は生きたい

私は誰かに愛されることを求めることから、
自分を愛することを始めた。

何も無くなった私を知ることからはじまり、
弱いところも情けないところも
不完全なところも未熟なところも
見て見ぬふりをしていたことも
見つめなければならなかった。

そのプロセスはあまりにも辛かった。

でも、私はそのなかでも、
生きる場所を探すために、
生きる覚悟を持って、
歩くことを決めた。
私は歩ける、私は大丈夫
と心から言えるようになれるように。

私が私をエンパワメントできるようになるために。

私が私を愛して
私もあなたも生まれてきてくれてありがとう
あなたも、あなたも、あなたも、
生まれてきてくれて、
出会ってくれてありがとう、
と、伝えられるようになったとき
涙が溢れた。

愛することに条件なんていらない。
目の前のあなたが愛そのものなんだよと
ただただ、そのエネルギーを抱きしめた時、
幼い頃、私がランドセルを背負いながら見ていた景色を思い出した。

草花、
鳥や動物たち、
目に見えぬ何かといつも話をし、
その度に楽しそうにしていた
自分の姿と、見えていた世界を。

私にはきっと使命があるはずなんだ、と
河を見つめていたときのことを。

ようやく、私はあの時の私と、
わーちゃんと、一緒になれたんだと
実感している。

包み隠さず、
私が私でいれる。
居ていいんだと、
もう、一緒に生きていて
いいんだよ。愛されていいんだよと。

私はまたこの地球を
草花と動物と目に見えぬ何かと、
そしてまた愛したいと思えるたくさんの人たちをそっとまた見つめて、対話したいと思う。

私が今作っている社会の保健室は
まさに、その場所。
信念の明瞭さを持って、
大切なものを見つめる場所。

本当に大切なものは目に見えないんだよ

という言葉が
実感出来る場所。

私はそんな場所になりたい。
そんな場所を作り続けたい。

そんなことを思う夜でした。

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