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一人で食べる

先日の朝礼は会社の業務内容が赤裸々なので記載できず。
そのかわりに思ったことをメモ。
いつか、朝礼ネタとして明るい内容に軌道修正して、オチをつけるかもしれないし、つけないかもしれないお話し。

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4月1日に小学2年生になった娘。
父母は仕事なので春休みでも毎日せっせと学童通いをしています。

春休み中は給食がもちろんないので、毎日お弁当です。
コロナ禍の今、学童ではお弁当をレジャーシートを引いて外で食べるか、学童の建物の中で食べるかを選べるとのことで、ポカポカ陽気の今、娘はずっと外を選んでいたようです。
ただ、外だとどうしても春の強風で校庭の砂が飛んでくるようで、お弁当に砂が入ってしまうと悲しんでおりました。

そんな娘
『お弁当ジャリジャリ悲しいから、これからはもう中で食べる!』
と私に宣言しました。

何の気なしに私は
『一緒に食べるお友達が外が良いって言ったらどうするの?』
と聞きましたが、娘は
『お昼ご飯は黙食でお友達と食べるって感じじゃないから、一人で決められるよ』
とサラリと言っておりました。

それを聞いた時に、お友達と一緒にワイワイ食べるあの楽しさを味わえないのか…と言う物悲しさもありましたが、それよりも、お弁当一緒に食べるお友達を必死に探さなくていいのか、と思ってしまった母です。

今じゃ一人でラーメン屋だって居酒屋だって行けるくらいの私ですが、学生時代は『お弁当はお友達と一緒に食べるもの』という念に囚われていました。
一人でお弁当を食べたときは、いつも誰かに『お前、お弁当食べる友達もいないのか』と茶化された記憶があるからかもしれません。

娘の言葉を聞いた時、私の脳裏に、一人でお弁当を食べる姿を見られたくなくて、誰も来ない、外に直結した渡り廊下でご飯を食べていた自分の姿が浮かびました。
だれにも見つかりたくなくて、下を向いて食べていたような記憶があります。

『一人で決められるよ!』

その娘の言葉で、うつむいてお弁当を食べていた私が、青空を見上げて、一人のんびりお弁当を楽しむ姿のイメージに切り替わったような気がしました。
娘の言葉で、昔の自分が突然救われた瞬間でした。

コロナ禍がもたらすことは悲しいこともたくさんで、とかく人と人との繋がりに関しては、とても影響がでていることは明らかではあります。
娘も本当はお友達とワイワイ食べたいと思っているかもしれないし、自分から望んで一人で食べている訳じゃないことは、コロナ禍がもたらした、本当に良くないことだと感じています。やむを得ず、です。

ただ、私は救われた、そんなお話しでした。

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