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FAKE

人の生が終わる時、病室に響く規則的な電子音が止まる。

気がつけば私は無機質な白いベッドに横たわり
ぼんやりと規則的な生の音を聞いていた。

わずかに霞みがかる視界の端に、キュッと縮こまる彼を見つけた。

あぁ、また私は理想の私になれなかったのね。
あなたから消えてあげられなかったのね。

彼が「ごめん…」と呟きながらキリキリと泣いてしまっているのがわかる。

ううん、違うの。違うのよ。
また失敗しちゃった。
また消えられなかった。
謝るのは私のほうなの。

痩せてしまった腕を伸ばして
彼の腕を手繰り寄せる。
きっと、数時間前まで、昨日も、その前も、違う誰かを抱きしめていたはずの腕がまだこんなに愛おしくてたまらない。

私はやっとの思いで肺を広げて「愛してる」と音にならない声で叫んだ。

彼がずっと嘘をついて私のそばにいたのは知っていた。
どんな女といるのかも、どこにいるのかも、私は知っていた。

でも、まるで心臓の音に呼応するように嘘をつく彼を
「嘘をつくということは私を傷つけたくないからだ」というとても前向きな解釈をして笑顔で送り出してきた。

だってその嘘が嘘ではなくなってしまったあと、
彼のいない世界に生きる方がうんと辛いもの。
彼を失わずに生きていくために、
私は自分にも嘘をついて笑ってきた。

ねぇ、2人で行った古い旅館を覚えている?
萎びた畳の部屋に入って、たくさんお酒を飲んだよね
あの時旅館に懐いていた猫たち、元気に暮らしているかな

思い出す彼の顔はいつも朗らかに笑っている。

「飲みに行こうか」
彼がそう提案してくれたのは、
退院してしばらくしてからだった。

体調も心もだいぶ安定していたので
彼からの提案は素直に嬉しかった。

この部屋に居続けることに少しうんざりしていたんだ。
やっぱり奮発して遮光カーテンにすればよかった。
西陽の強いこの部屋では、薄いカーテンは目隠し以外の力を持たず、
やすっぽくひらひらと揺れながら真っ赤な生地を通る光がなんだか気持ち悪かった。

「彼が帰ってくる場所」それ以外の意味なんて、この部屋になくてよかったから、それでよかったのだけれど。

その夜は付き合いたての時によく通った、
均一の安いチェーン居酒屋に入り、
思い出話なんかを話しながら、
もうずっとこの時間が続くような気がしてしてしまっていた。

でもこの後に「もう一軒」はないし、
あとは家に帰り化粧を落として、
お互い背を向けて寝てしまうだけということもわかっていた。

お会計が済むと、安酒で上昇した肌に、春を感じる生暖かい夜風を纏わせ、私たちは歩き始めた。

手も繋ぐこともない、
歩きながらふいに開いた彼の携帯の中身を案ずることもない
一定の距離を開けて私たちは歩いた。
合わない歩幅は、もうわたしがどんなに小走りしてしがみ付いても縮むことはなかった。

もう

本当に

終わりなんだな。

ずっと騙されたままでよかったのに。
嘘のままでよかったのに。
なにも知らずにいればあなたを失うことはなかったのに。

どうしたって彼を責めることは出来なくて、
「知ってしまった自分」にしか刃を向けなれなかった。

私は前の方を歩く彼の腕を引っ張り、正面になおらせると、
背伸びをして長めのキスをした。

彼はなにも言わず泣いていた。

泣きたいのはこっちだ、馬鹿。

久しぶりに彼の目を見た。

あぁ、付き合いたての頃よりうんと優しい目になったね。

たくさんの人に優しい嘘をついて、
自分を保っていたんだね。


「愛してた」


乃下未帆「FAKE」

https://ameblo.jp/noshita34/entry-12577747059.html


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