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新しくないモノからいつか生まれる新しいモノを数年後に手にするために。

独自のスタイルがあって人気のある人たちに憧れ過ぎて、何か始める場合は『新しいモノ』じゃなければならないと、思ってしまう。どうしても自分の中に渦巻く【今更感】実体のないルールと羞恥心がこの感情で気持ちを満たしてくる。

にばん‐せんじ

【二番煎じ】

転じて、新味のない二度目のものの称。やきなおし。


やき‐なおし

【焼直し】

他人の作品や自分の旧作を多少変えて新作めかして発表すること。

また、そうした作品。

今回の私の頭の中は【二番煎じって良くないコトなのではないか】ということ。

生み出し脳ではなく、付け足しアイデア脳な私の頭の中は、いつも新しいアイデアを生み出す人だけが成功すると思っていたよう。それだけではないよ!ということを自分に強く教えてあげたい。なにかを始めるにはアイデアがないといけない。(初めてはいけない)そう思ってしまうのは、ターゲットや自分のコンセプトを明確にしようということから。なにせなにもかも、頭の中が凝り固まっている様子の私。失敗するのが怖いというルールが癖のようにこびりついていますからね。この数年間で少しずつ色んなことにトライしてきた。その時々ですべてに共通して行きついた感情は「今しないのも、やって失敗して辞めるのも同じ。だからやってみればいい。」トライしたら未来は2つ。当たるか外れるか。続けるか辞めるか。楽しいか楽しくないか。トライしなければ未来はひとつ。現状と変わらず。何かするにあたって考えた時になにをそんなに怖がるのか。始めてみて初めて知ることばかりなのに。

私はネイリストでありがたいことに生徒さんを持つことがあるのですが「(技術や理論を)マニュアル化せずに、自分の中の情報点を柔軟につなぎ合わせて線に変えれるよう学んでほしい。そうやって自分のものにしてほしい。」と、よく話しています。

最近買って、もうすでに何度も読み直している本のなかにステキな表があって。その中にある一部が、

【STUDY→本質を学びとる vs. SKIM→表面をかすめ取る】

by オースティン・クレオン

これがまさにぴったりの言葉で。参考にするのと全てをマネるのとは違う。まさに自分のモノにするか、マニュアルとしてそっくり写しとるか。

状況は違えど、学びの中にあるのなら二番煎じから始まるものがたくさんあるよな。と思った。いつも生徒さんに言っていたけれど、自分のこととなるとすっかりダメになるもんだ…

じゃあ自分のなかで誰かのマネしたいことがあるの?と考えてみたら、とくに誰の何!ってことじゃなく大きなくくりなわけで。YouTubeやってみたいとか、noteに文章を書いてみたいとか。

私は40歳目前の今でも自分をオバサンだと思ったことがない。でも、26歳のYouTuberが自分をオジサンだというのを聞いて、YouTube界では受け入れられない年齢なのか。とどこかで感じていたことがわかった。事実若い人の文化なのかなと。YouTubeがというよりもYouTuberがといった方が正確かな。

今どれだけたくさんの40歳オーバーがYouTubeの世界で挑戦し活躍しているのかわからないけれど、ここから数年後『数年前からYouTubeに動画をアップしている4○歳のうちのひとり』になるには今から始めないとなれない。

いつも今輝いている人を見る。これから輝く人がどれだけ行動しているのかを無視してる。無視というか知らないだけだけど。こう書いてると、今私のことを見つけてくれている人に深く感謝をするし、思う存分トライしてみようという気になる。

とりあえずnoteを書き始めてこの数投稿で、読んでいて面白い文章を書くのって難しいな!ということがわかった。わかったから日々模索していこう。この気づきはnoteを初めて、更に数投稿しないと気づかなかったこと。

こうやってこの先も初めての経験を繰り返していく。

読んで頂いてるだけでも感謝の想いです。サポートしていただいたらお返し出来るものはありませんが、私の挑戦とクリエイトの力とさせていただきます☆