見出し画像

遺影頭について

2023年12月の異形頭アドベントカレンダー、23日目の担当、村上です。
表題にあるように、私が特にしつこく描いている遺影頭について、書き連ねていく。

私の中での異形頭の定義は、
人間の体に、本来「頭」と認識されない既成物・異素材の物体が頭部に成り代わっている存在

※念のため書いておくが、あくまで私の中での定義なので、必ずみんなが上記のような存在でないとダメ、だとかは思っていない。

まず、私が初めて遺影頭を描いたのは2014年の1月だった。

初めて描いた遺影頭

当時は特に何も考えず、パッと思い浮かんだから描いてみた程度で、ここまで長いこと付き合うことになるとは思ってもいなかった。
この絵を描き終えてしばらく後に、「頭の遺影にだれかも知らない人の写真を入れられる遺影本人はどんな感情を抱いているのか」という考えが浮かんだが、当時は遺影頭を自身の創作キャラクターの面を強く出してイラスト等に勤しんでいた。

しかし、ここ数年で劇的に遺影頭への考えの幅が広がった。特にこれと言ってきっかけがあったわけでは無いような気はするが、ヘタの横好きで多少長くやっていれば自分の創作スタイルのようなもの、物事への考え方が明確になってきた。

話は少し逸れるが、私は異形頭は畏怖の存在であることを前提として異形頭を見ていることに最近気付いた。
私たちのような人間とは見た目が異なる、人とかけ離れた存在、私たちと違う世界にいる何者か、生きているのか、存在しているのかも分からない怖さ、を孕んでいるからこそ、私の手の届かないが故にいくらでも想像が出来る。
且つ、手が届かないからこそ、自分たちと同じ場所まで引き摺り下ろして血が通った生き物であることを確認して安心したい、という気持ちもあるのかもしれない。
それを私の言葉で言えば「可哀想は可愛い」になってしまうのであるが…。

話を戻すが、基本的に異形頭へ抱く劣情は上記のようなものであるが、遺影頭は例外となる。

遺影は、命ある生き物全てが平等に行き着く終わりの存在「死」を象徴する物である。
(遺影の文化があるアジア圏でのみ対象となるが)
「死」は多くの場合恐れられる。
ゆえに遺影は、生ける者全ての恐怖・畏怖の概念、神のような存在だと私は考えている。
なので、特に言及しない限り、遺影頭を描くときは「神のような存在」「死への畏怖を体現したもの」の意識が強い。

21gの行方
私はお前たちがやったことを全て覚えている
単眼
静観
特等席
タイトル忘れた
タイトル忘れた
あなたの慰めに、ありがとう


鯨幕

私が描く遺影頭は、どこか人間に対して小馬鹿にするような、見下しているような感情を抱いている。神のような存在だと言っておきながら、人間のような感情を持っているのはこれいかに、と思うが。
でも、遺影頭には生き物全てが敵わないし、遺影頭もそれを分かっているから、複雑に考え足掻く人間を見て小馬鹿にしているのかもしれない。多分ね。

苗床
負い目
↑のリメイク 負い目
奈落
疑似餌と後ろに潜む本体が孕む死がアンコウに似てるなと思って描いた落書き
ココで書いてない諸々を簡単にまとめたやつ


また、以下は思い浮かんでザッと書き殴った漫画のようなもの。
本来の使用意図とは異なるのに、勝手に人間から「死」の象徴とされた可哀想な電柱頭と遺影頭。
遺影頭は、異形頭の上位存在でもある、という解釈も私の中ではある。

電柱頭

私が死を象徴するモチーフや、物に死を意識させるようなイラストを描くのは、その物が人間に対してどのように思っているのか、を描いていることが多い。
人間に友好的ではない、怒りや悲しみを持った異形頭が好きだ。
遺影頭はその最たる物だと私は思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?