NortsがナイトのDJを半年やって思ったこと。

Nortsです。

普段は作曲とDJと勉強をしています。

さて、私のトラックメーカーとしてのキャリアは空白も含め約6年。本気でやり出したのはここ2年ですが。

やはり自分の曲を聞いてもらう機会というのは大切で、そのための認知というのは殊同人界隈では重要になってきます。

作曲以外でまず自分をどのようにブランディングしようかと考えたときに出てきたのがDJでした。

遅かれ早かれ、自分の曲をDJで流す場面は来るだろうと思っていた私はDJになる機材を揃え、少し勉強しました。

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2019年8月。

大学の友達から、「バイト先でDJを探してる人がいる。沼尾やってるんでしょ?」と言われた。

実際その頃昼間のDJをしたことがあったので、私はプライドもあってその場返事で承諾してしまった。

8月12日月曜日、渋谷。

私はLaurel Tokyoというナイトクラブの前に立っていた。

昼間のクラブイベントは到底殆どの方がイメージするパーティ的なものではなく、身内で固まるようないわゆる音箱の役目を担っていた。

夜のイベントを知らない私にとって、ナイトクラブは初だった。そして意を決して中に入ると。そこは昼とは違う煌びやかな雰囲気だった。

香水の甘い香り、ピンク色のネオン、薄暗い照明、若い女性、厳つい男性、イケメンのスタッフ。何もかも自分が行っていたクラブとは違った。いや、これが本来のオールドスクールなクラブスタイルなのだ。

気圧された私はとにかくブッキングをくれた人のところに向かった。Tatsumaさんだ。

彼は現在でもCrazyというDJクルーの一員として六本木のJUMANJI55や新宿のWARPで活躍されている。

彼にいろいろシステムを教えてもらいながら、PCを操作していた。すると、フロアでPC操作をすることを注意された。このとき注意してくれたのがイベントメインDJのKazukichiさんである。

彼はCrazyのトップとして若手DJを育てながら自身も学生イベントや大箱でのDJを勤めている。また、会社の経営を行うなど活動が本当に広い。きちっとする場面は非常に厳しいが、普段は本当に優しい。はず。

デイイベントではフロアでPCをいじることが多かったので、こういったところでも違いがあると知った。

そのイベントにはそのイベントのルールがある。それに則るのは当然のことだ。

私はすぐにPCを閉じて謝った。そこでKazukichiさんからDJとしてイベントを作るためのルールを学ぶことになる。

まず、ナイトのDJは途中で帰ることができない。
これは自分のいたイベントと、自分の立場上の問題かもしれないが、オーガナイザーだけでなく、店側の面子もあり、途中での退出は難しいものがあるそうだ。

また、外販がある。これは非常に驚きだった。
自分にとってのDJはまず、ブッキングをもらい、オーガナイザーからブッキング料を貰い、DJをするというスタイルが一般的だと思っていたからだ。

ところが、ナイトは自分でお客さんを取りにいかなければならない。そして、きてくれたお客さんが自分のプレーを気に入って、ファンになってくれる。次回も来てくれる。このループでDJは大きくなる。という流れが一般的らしい。

というのも、トラックメイクから有名になりDJをするというパターンを多く見てきたので、元々のファン層がDJを見に来るというパターンしか見てこなかったからだ。

トラックメイクをしないDJは、DJのプレーのみでお客さんを掴まなければならないのだろう。

そして、初のナイトのイベントが終わった。

繋ぎはめちゃくちゃ下手くそだったし、選曲もデイの感覚で行ったため、ナイトの雰囲気にそぐわず今思えば本当に酷いDJだった。

しかし、反省会では自らが気づかない良い点を言われた。

Kazukichiさんや、オーガナイザーのSweeetさんは、メインの時間帯で私が楽しそうに爆踊りしてたのが良かったと褒めてくださった。

これも完全にデイの感覚だった。

デイではとにかく好きな曲がかかればみんなで踊る。歌う。叫ぶ。音楽を純粋に楽しむ。そこに邪な気持ちはない。

これがどうやらナイトでは少ないらしく、良いことになるらしい。まぁ流石にイベントにもよると思うが。

そこでも私はデイとナイトの思わぬ違いと、自分の方向性の認識を得た。

そこからはとにかくナイトの選曲と、プレースタイルの研究の日々だった。

まず、今まで150〜200と、早いテンポの曲ばかり聞いてきたが、90〜128の研究を始めた。

いままで食わず嫌いをしてきたビッグルーム、ポップス、トラップ、ヒップホップをとにかく聞いた。

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11月12日

道玄坂を登り、Laurel Tokyoに向かう私は、ヒップホップを聴いていた。

しっかりとハウスミュージックにハマり、ヒップホップやムーンバートン、レゲトンに対応できる曲を揃えていた。

しかし、私は12月でナイトの現場を辞めることにした。

理由は、進学と進級に影響を及ぼしかねないからだ。DJのスキル、曲のDigを磨くために頑張るあまり、本分の学業が完全に疎かになっていた。

実際に現場に入り、私のDJの腕は確実に変化した。

しかし、本分ができなくなってはあまりにも情けない。作曲もDJも勉強もできてこそ、真の良い生活だと考えている私は、意を決して、その中のDJの比率を少し下げることにしたのだ。まだ学べるものが多いはずの私にとって、これは本当に苦渋の決断だった。

本番当日、Kazukichiさんに辞退の相談をした。

何か言われるんじゃないかと内心本気で緊張していた。しかし、思いもよらない返事が返ってきた。

「逆に先に言ってくれたのがよかった。一番最初よりも上手くなったよな、DJやめるわけじゃないだろ、頑張れ!」

彼は忘れてしまったかもしれないが、この言葉をいまだに覚えている。このとき本当に感動したことに心底びっくりした。

トラックメイクを本業にしていて、DJは自分のブランディングのための手段としてしか思っていなかった私が、DJとしての気持ちを持って少しはやれていたんだなと自分で自分にびっくりしたのだ。

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ナイトのDJと、デイのDJはとにかく諸々違う。違いすぎる。
恐らく、演者としてのDJだけでなく、オーガナイザーのやること、店のやることも全く違うはずだ。
その両方を経験させてもらったのは本当に自分にとって大きい。大きすぎた。

約半年程度しかナイトで回していない私がナイトのDJの話を書くのは良いのかと迷ったが、ここに記すことにする。

サポートをしてくださった先輩方に心からお礼を申し上げたい。またテキーラ飲みましょう。



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