ふと思いついた。サーバントリーダーシップは”北風と太陽”だ!

私のハンドルネームは”北風と太陽”です。その由来についてご紹介させていただきます。これは最近の悩みである人を束ねる(チームワークを発揮する)難しさにまつわる話になります。


ひらめいたのは眠れなかった、あの夜

noteを初めてみよう

そう思ってから1週間、ハンドルネームに悩んで始められませんでした。

本名は抵抗感があるし、ほかのSNSで使っているハンドルネームは少しふざけた感じがする。

んーどうしよう。

特にあれやこれやと書き出したりして考えるわけではなく、ぼんやりと考えてました。

先日は眠れず、ぼんやりと考えていました。

あ、太陽と北風!

急に降りてきて、即決定。そのままアカウント作成をしたのでした。


サーバントリーダーシップ

北風と太陽、この名前はサーバントリーダーシップという考え方からスピンアウトしてきて思いつきました。

サーバントリーダシップ、私は最近知りましたが、ロバート・K・グリーンリーフという方が1970年に提唱した考え方だそうです。(めちゃくちゃ古い!びっくり)


それがなにかというと、イメージしがちな「リーダー」像である

”メンバーをぐいぐい引っ張ってゆくリーダー”

ではなく、

”メンバーに奉仕・支援する形でチームを成功に導くリーダー”

です。


少なくとも私はリーダーといえば前者のイメージが強く(というかそれしかないくらい)、サーバントリーダーシップはリーダーなのか??というくらいの状況でした。

おそらくこの言葉を3年前に知ってもまだ見向きもしなかったと思います。

私はこれまでメンバーを「どういう風に引っ張ればいいのか?」「どんな優秀なツールがあればいいのか」など、なんというか、外力を加えてメンバーを導くことしか頭にありませんでした。

しかし、5年間必死にやってみましたが、メンバーは石のごとくまったく動かず。私は憤りや疲労感を感じ、私に対するメンバや周囲の人の印象は「厳しく冷酷な人」となるだけでした。

もうほかになす術はない、引っ張る策はすべてやりつくした。万策尽きた。

そんなときに、ひっぱること自体がよろしくないのかなと思いました。

つまりサーバントリーダーシップが必要なのかと。



あ、これってあれじゃん。無理やり北風で服を脱がそうとしたけどダメだった北風さんと一緒じゃん。太陽さんがカンカン照りにすれば旅人は自ら服をぬいだよね。(イソップ童話の北風と太陽のお話ですね)



そういうことか。

頭では理解しようとしたけど、いまいち理解できなかったサーバントリーダーシップが私の土俵に乗ってきて、するりと腹の中に落ちていく感じがしました。


よし、ハンドルネームは”北風と太陽”に決定。即決でした。


私は太陽になれるのか

太陽になれば状況は変わるかもしれない。そう思いましたが、果たして私が太陽になれるのか。それが課題です。

しかも、さらには もしなれたとして好転しないかもしれないし。

先輩にも言われました。

人にはそれぞれの良さや向き不向きがあるからお前はそのままでもいいじゃないか?(半分お前の性格は太陽さんは無理だぞ、という顔をしながら)


うん、確かに。それは私もそう思う。正直まだ気が乗らないってのもあります。

今はこう思っても、知らない間に北風さんになる可能性もあります。

忘れちゃうから、思ってたこと。


そんな不安もあって、ハンドルネームは北風と太陽にしたのです。

これなら、noteを見るたびに、

そうだそうだ、太陽さんになってみることにしたんだ

と、思い出せると思って。


noteを続けることができれば、太陽さんになれる。そう信じてみようかなと、がらにもないこと書いています。

まとめ

北風と太陽は突然頭に舞い降りてきました。それはサーバーントリーダーシップという奉仕・支援型のリーダシップの考え方にヒントを得ています。

チームを成功に導くためには方法としては、メンバーを無理やり引っ張るやり方はだめだけど、サーバントリーダーシップはその可能性を残している。

童話に例えるなら、無理やり引っ張るリーダーは”北風と太陽”の北風さん。サーバント型は太陽さん。無理やり服を脱がそうとビュービューふかしても服はぬげませんよ。北風さん。太陽さんのように、旅人が自ら脱ぎたくなるようにしないと。

私のキャラではない「支援をするリーダーシップスタイル」、つまり太陽さん。私はその太陽さんになれるのか?

そうだ、忘れないためにもハンドルネームは北風と太陽にしよう。

noteを続ける限り、太陽さんになろうと思ったことは忘れない(はず)


終わり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?