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【雑記】強くてニューゲームな日

備忘録としてその体験を書いておく。

この旅の中で誓ったこと。

ママから卒業すること。

本当の愛とは、自分なりの愛し方とは何かを見つけること

自分にとっての本当の幸せを見つけること。

そして、昨日の9/11にそれがひと段落した。

9/11。それは突然訪れた世界最後の日だった。

catastrophe

#生命が美しいとしたらそれは何故か

横浜の真っ白なイベントスペース・逃げBarで開催されていたその共同展示会の最終日。突然世界が終わることになった。

みんな何をしたらいいんだろう?と戸惑っていたので、とりあえず世界終わるしお疲れ様!ってことで、みんなにドクダミ酒を振る舞った。

2020年の3月20日に地球最後の日ごっこをマチマチと2人でやっていたので、世界の終わりは経験済みだ。地球最後の日に愛する人と目一杯この世界とその人を愛して終わるという理想的な最後を既に一度経験している。

また、たまたま7月以降は「最後の招待」として、密会活動を始めたので、ここ最近会う人とは「これが最後」って思いながら会ってきたから同じく問題ない。 

先祖への墓参りも先々週に済ませてきた。母にも会えた。父とも電話したばかりだ。何も悔いはない。

いつでもこの世界が終わってもいいように後悔のないように生きてきた。

だから世界最後の三十分の開始が告げられたとき、いつもどおり「みんなで飯でも食べようぜ」をやることにした。

最後に振る舞ったのはドクダミ酒でした。

それに呼応したのか、みんながやたら持っているお菓子やら酒やらを振る舞い始めた。

祭りっぽくなってきたね。それがやりたかった。

手のひらを太陽にを歌ったり、手を繋いで踊ったり、炭坑節を歌ったりして、世界の最後をみんなで過ごした。

せかいのおわりに胸が痛む。そこで見つけたもの。

無事に世界が終了したとき、心臓が謎の痛みに襲われた。

その痛みの先には地球を包み込んでいた自分、宇宙を包み込みながらも宇宙に包まれる自分がいた。

これが愛なんだろう。在り方なんだろう。

この期間、「あえて」前なら絶対にやらなかったことをたくさんやってみた。

愛される代償としての愛するではないやり方で。

愛されるための駆け引きもやめて。

路上の酔っぱらいに月見酒を振る舞ったり。

メトロで行くことができない横浜に2回も行ったり。

用事がすべて済んでも帰らなかったり。 

ペンキ塗りなどもした



さあ、強くてニューゲームだ

世界は変わった。

あたり前にあったものはどこかにいってしまったのかもしれない。

しかし、以前よりも広い愛をもっている。

愛を届ける技術もある。

何よりも深く愛して愛されたことは絶対に消えることはない。

そして、世界全部愛してるって感覚をつかむことができた。


Ready?


P.S

このイベントに参加すると決めたのは本当に当日の当日だったし、何だったら最寄り駅の反町につくまでは「引き返してもいいんだぜ」って思ってた。

でもなんかたどり着いてしまった。

そういえば、明治天皇が江戸城に入ったとき、江戸の人たちにお酒が振舞われたという。

御酒頂戴というあまりにダイレクトな言葉

喜んだ人たちは一斉に店を閉めて、御酒頂戴の旗を掲げながら自分たちの街へ帰っていったという。

黒船がやってきて、内戦が起こり、幕府が滅んだ様子はまさにこの世の終わりに近い。

そんな中で天皇から振る舞われたお酒は、みんなで楽しく祭りをやった経験は何よりの心の安らぎになったのだろう。

この後、ええじゃないかなどに続くらしい。

世界の終わりに祝盃を。

手を叩いて踊って世直しやっていこう。


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