大工を殺すのは大工(前編)

お疲れ様です!


今の僕は空調服が欲しいんですが、父の日に自分の親父に空調服をプレゼントしたために自分のが買えないという状況で、空調服を着ている人たちが毛深くなる呪いをかける仕事をしています(違う)


他の記事でもお話ししているので見たことあるよって方がいたらすみませんが、「大工さん」って実は種類がたくさんあるんです
木の家を作る大工でも、現代の流行りは大きく分けて3つの工法がありますし、宮大工や数奇屋大工などが関わる伝統建築もあります
リフォームやる大工もいればイベントや店舗などの大工もいるし、マンションの構造体をつくる型枠大工もいればマンションの内装だけをやる大工もいる
もはや大工といって、ひとくくりにしていいものかと思うくらいまだ種類があります笑

ここでよくあるのが、同じ大工さんの中でもどの大工がすごいか?どの大工が低レベルか?
という「カースト思考」

宮大工からしたら他の家大工は大工じゃない、
型枠大工は仕上げものを触らないから大工じゃない、新築の大工はリフォームを知らないに対して、リフォームの大工は建物を知らない、刃物を研げなきゃ大工じゃない、尺貫法使わないと大工じゃない

こういう人がまだいます。僕も若い頃、一時期そうでしたがその過去を恥じるばかりです。固定観念でガッチガチの老害と洗脳された若者がそう言うけれどもみんな大工でええやんけ…まぁ他の業種でもこういうのは「あるある」だと思います

僕自身は仕事している上で資格を取得する必要性がなかったので、逆に経験のためにといろいろやりました。新築も在来、ツーバイ、ピン工法と一応一通り経験してます(意外と希少種です)、日本初だか関東初とか言ってた木造の4階建ての工事に携わったり、皆が知るショッピングモールやアウトレットモール、有名観光地の古民家改修もやった
超有名企業の社長宅をリフォームした時はケガして大出血して施主さん宅の数万円するタオルと新品のフロアを真っ赤に染めたし、渋谷109の工事ではかわいい店員さんを見るために仕事サボってたら警備員に捕まったりもした(嫁と出会う前だから無罪)、4日徹夜してる時は頼むから帰ってくれと監督に諭されたり、同性愛者専門の風俗店をやった時は現場に異物(自主規制)が落ちていて絶句したりと…
本当いろいろやった…変な大工さんとか言わないで普通の大工さんだよ!普通の大工さんだよ!!!!!(大声)

長々となりましたが、こんな感じで少し違う分野も経験しましたが、さっき書いたようなカーストっぽい考えの人は様々なところでいました

最近の普通の大工さん(私)は一戸建ての家をつくるのが割りと多いので今回はこんな考えを持つ一部の人の話を
「伝統的な技術を駆使して家をつくる大工さんと、
現代では一般的になった建物をつくる大工さん」
を使ってお伝えします


今と昔の大工さん


家をつくる大工さんは機械の進歩がすすみ、合理的かつ効率よく作られるようになりました。その時代の流れで得た安全性、一定の品質、スピードと引きかえに、「技術が失われた」との見方をする人も多くいます。今まで多用していたのこぎりやカンナなど手道具での作業は減り、進化をつづける電動工具を使うのでよく言われている「手先が器用だから大工」の必要は少なくなっています
僕自身、新築の家一棟をつくるなかでも電動工具の割合が90%以上になってしまいましたが、手道具って触っていないと感覚が鈍るのです。刃物を触る時間も金も減り続け、それも一因として一般的な新築、リフォーム、店舗までしか最近はやらなくなりました。
というかやらないからわかりませんが、おそらくできなくなったかもしれません。

本当に技術は失われたのか?

技術が失われたと主張する人たちの中には
・昔の時代が美化されている
・客観視しようとしていない
・現代の建物の知識が足りない
ここらへんの排他的な人は多く見てきた。

五重の塔のようなごく一部、一流の仕事だけを見て、そこらの路地に並ぶゆがんだ古い民家を見ていない。水平ではなく、戸は開かず、冬は寒く夏は暑い上に雨漏りをするような家はそこらにたくさんあり、
これらの建物をつくったのも同じ時代を生きた大工であることは見えていない。自分でなければいいのか?
震災で倒れた民家は誰がつくったのか?
都合のいい時は大工の技術、都合が悪いと維持が下手な居住者や図面を書いた設計士のせいと言う人も多い


倒れない家、住みやすくなった家、スピード、これら全てのノウハウは技術と呼べないのか?

たしかにラクチン、作っていてつまらない建物はある。昔ながらの技術も素晴らしくて、鍛錬を重ねて得た高難度の手仕事で仕上げたものは美しい
その芸術とも言える技術の活躍の場は少なくなってきているのは需要が他にもあったからだ
「人」の出来不出来に左右される「質」は一定ではなかったり、リスクがあったんだと思う。最高と最低の振り幅が大きすぎたんだ。だから機械化や検査に検査を重ねるようになった一面は否定できないはずだ

そして今の時代に需要があり、今の時代で得たノウハウ、これも間違いなく技術でしょ。今まであったもの、新しく手に入れたものには目もくれず、失ったものだけを盾に批判的に、悲観的に技術を、大工を語るのはどうなんだろうか


そもそも、伝統を引き継いでいる一流の手仕事をする大工はいる

そりゃそうだ。神社やお寺、嗜好をこらした和室や茶室も存在しているから。SNSを見るだけでも伝統建築を引き継ぐ、神を宿す腕を持つトップオブトップの手仕事をする大工は日本にまだいることが伺える

なのに、大きな枠組みでは同じ大工さんという仲間であるはずでも、コンプレックスを感じる人、批判しかしない人、そんな心の貧しい人は後を絶たない

僕は温厚なのでオブラートにつつんで言うと
「良し悪しも考えず自分の立ち位置以外のものを排他的にワーワー言うのは井の中の蛙か伝統も引き継げず現代にも馴染めない頭の弱い大工だ」
なんて口が裂けても言えないね(火の玉ストレート)

僕自身は刃物を触る機会が減っても、代わりに得た経験や知識はある。これってどうなの?
批判する人から見たら進化なの?退化なの?
どう言われようが僕は恥じていないんだよね

隙間なく正確に仕上げても工期に間に合わなかったら?稼ぎが足りずに家族が貧しかったら?
それっていい大工なの?
僕の価値観では自己満足のアマチュアです

自分の仕事の素晴らしさを伝えるために、他人の仕事を批判する方法ってどうなの?他人を落とすことはできても、あなたの評価は上がるの?あなたの仕事の素晴らしさはそれで伝わるの?それで誰が得をするの?

いや本当に、伝統建築でも現代の建築でも素晴らしい一流の大工さんって、頭は柔らかいし自分の仕事を見ているんすよ。他人の仕事ばかり見て批判してるような人じゃない

とはいえ僕が伝えたいことは、批判をするな、愚痴を一切言うなと伝えたいんじゃない。問題提起はもちろん必要だし、叱咤激励で批判することもありますよね

ただ、なんでもかんでもネガティブなこと言っても良い道には進まないし、足の引っ張り合いにしかならないってことです

そして、注意点や改善点を提案したり、一緒に考えてみたり、自分の人間性や自分の仕事の素晴らしさを伝える方があなたの望む結果に近づくはずだと思います。
環境を良い方向に変えていく努力と同時に、自分自身の足元をよく見て、僕らも変わる必要がある

後編はこの人たちの未来予想図と僕なりのおススメの道を書きたい

以上、今日もご安全に



普通の大工さんでツイッターやってます!いいねと思ってくれたらハートマークのとこぜひ押して下さい!フォローしてくれたら泣いて喜びます!ご協力よろしくお願いします!