コラム:戦後75年と日米安保60年(ニューズ・レターNo.71、2020年6月号)

 ちょうど60年前、日本は日米安保反対デモという戦後最大の政治運動の渦中にあった。安保改定のデモが幾重にも国会議事堂を取り囲み、岸信介首相による日米安保条約改定は激しい反発を生んだのであった(日高六郎編『1960年5月19日』)。
 今年は戦後75年でもあるが、同時に1960年安保から60年目の年でもある。ちょうど2年前の本コラム「1968年から50年 昔といま」(ニューズ・レターNo.54、2018年6月)でも書いたように、1960年は同時代としてまだ物心が付く以前の頃であったが、激動の時代だという感覚は何となく大人から伝わっていた。映画『赤頭巾ちゃん気をつけて』(1970年)は、当時の人びとが何を考え、どのように生きていたのか、当時の日常を映画の中の表象を通して垣間見ることができる作品であった。
 昭和が終わる年の1989年、大学の卒業論文テーマに選んだのは、60年安保時の在京新聞社による「7社共同宣言」であった。東京の7つの新聞社は、1960年6月17日の紙面に「暴力主義を排し、議会主義を守れ」いう宣言を発表。とりまとめたのは、のちに研究テーマに取り組むことになる朝日新聞論説主幹の笠信太郎だった。1945年11月に朝日新聞は「国民とともに立たん」という宣言を出すが、それにしても、戦後15年後に、こうも変節してしまったのかと、論文執筆当時はそう思ったりもした。
 2020年の現在、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)が猛威を振るう最中、アメリカはトランプ大統領の下、黒人問題(Black Lives Matter)をきっかけに、統合よりも分断の道を進んでいる。日本の国内政治においても、安倍政権の支持率は低下を続けている。日米関係が大きく揺れる予兆をみせながら、米中対立の激化、米国第一主義の台頭で、国際関係における真の対等な関係とは何か、そのために何をなすべきなのか。
 60年前の政治運動は、はじめて主体的に考える「国民」としての覚悟が問われたという。「日本人が国家から価値感情において解放されたのは、明治以降はじめてのこと」(前掲『1960年5月19日』)であった。ゆえに、日米関係もじっくりと考えねばならないときが早晩来るのではないか、と、こうした歴史の節目に思い起こす。
(『Intelligence』購読会員ニューズ・レターNo.71)

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