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【旅行編】怒涛の115系の旅②

さて、怒濤の115系の旅、2日目の旅行記をお届けします。

周防大島に宿泊し、2日目は柳井港駅からスタート。柳井港駅は、幕末維新ゆかりの地。ということで、駅のホームにはこんな看板がありました。あと、歴代の内閣総理大臣も、山口県出身者は全国最多の8名と、日本の発展に大きく貢献した人物を輩出した県でもあるのです。

親しみやすいタッチの絵で、偉人達にVIP対応で迎えられる。

柳井港駅を出発すると、柳井駅、田布施駅、岩田駅、島田駅としばらく緑の多いのどかな風景が続きます。光駅付近を過ぎると再び海岸線に近付き、時折り海岸線から見える広い海が素敵です。そのまま進むと、下松(くだまつ)駅を通ります。この近くには日立製作所の笠戸事業所があり、ここではアルミ車両を中心とする鉄道車両が多く製造されています。たとえば、東京メトロ17000系(副都心線)や18000系(半蔵門線)や相鉄21000系、つくばエクスプレスのTX-3000系などといった首都圏のアルミ車両もここ笠戸生まれなのです。日立製の鉄道車両は、ここから遠路はるばる大阪や東京に運ばれていくのですね。

車窓から。駅前に「新幹線が生まれる街」と表記がある。

そのまま進むと、ほどなく山陽新幹線とのアクセス駅である、徳山駅に到着します。徳山駅を越えたあたりから、海岸線の近くを、山間を縫うように通り抜けていきます。モーター音を轟かせ、険しい山坂を勇ましく走っていく様子は115系ならではですね。この辺りになると民家も少なく、自然がとても豊かです。

その後、電車は「防府」(ほうふ)駅に到着します。駅前にはロータリーやAEONがあり、周辺にも多数の住宅・マンションが立ち並び、かなり都会でした。

防府駅はもう新山口駅に近いため、大道駅、四辻駅を経て、新幹線との接続駅である新山口駅に到着しました。接続の関係で30分ほど停車します。では、撮り鉄の時間としましょう。乗車している115系をパシャリ。何とも堂々としたこの顔、素敵ですね。

2ドアの115系電車。鮮やかな黄色を見ていると、カボチャスープが飲みたくなる。
この電車に乗り続ければ、下関まで行くことができる。

新山口駅の離れたホームには、105系電車がいました。105系は1980年代に登場した、国鉄のローカル線向けの3扉の電車です。短編成を組むのを得意としており、2両編成が多いです。「宇部新川行」ということで、より海側に向かう宇部線の車両でした。

窓などがリニューアルされていて、近代的な105系。

さて、長い休憩に別れを告げて新山口駅をでると、またしばらくのどかな景色が続きます。田畑が広がり、冬でも時折り農作物が見えます。また、柑橘系の果物が木に実っていて、なかなかの絶景でした。

「世界の車窓から」に投稿したくなるような日本のよき風景。

宇部駅と小野田駅の間には高速道路のような道路が線路をまたいでいますが、これは「宇部興産専用道路」です。日本一長い私道として有名です。UBE(旧宇部興産)が大量のセメントを輸送する道路として使用しており、まさに「欧米か」とツッコみたくなる規模の、超巨大なトレーラーが行き来する大陸のようななかなかの場所です。残念ながら車内からその光景は見えませんでしたが、セメント産業の地であることを実感できます。

さてさて、街は都会の様相を見せ、下関駅に到着。ここからは415系に乗車し、九州を目指します。

本州最西端の都市にやってきた。
早く門司に行きたいためか、モジモジしてしまう。

下関からは415系電車に乗り、関門海峡を渡ります。415系は国鉄時代の車両ですが、1986年以降の「1500番台」ではマイナーチェンジをはかり、近郊形電車の211系をベースにしたスタイリッシュな車体になっているのが特徴です。ただし、足回りの機器は115系などと同様の構造になっていて、何とも重厚な走行音とのアンバランスさがよいものです。本州と九州はかなり近いので、それほど長く関門海峡トンネルを走っている実感はありませんでした。

電気には「直流」と「交流」がある、というのは昔学校で習った方も多いと思いますが、西日本の鉄道は多くが「直流」電荷なのに対し、九州の鉄道は多くが「交流」電荷を採用しています。この415系は「直流」と「交流」を切り替えるスイッチを搭載していて、両方の区間を走ることができます。実際に、トンネルを抜けた門司港駅構内には直流と交流を切り替える、電気が流れていない区間(デッドセクション)があり、鉄道ファンがムネアツになることの多い場所です。実際にデッドセクションを通ると10秒ほど、車内の電気や空調が停止し、「電気が切り替わった!」と実感できます。

「お主は東京の者か。常磐線には昔、ワシの親戚がいた。」と語りかける415系1500番台。

さて、門司駅に到着したら、乗り換えて「門司港駅」に向かいましょう。そう、この光景が見たかったのです。門司港の特徴はまさに、ロケ地としても使われる、レトロな雰囲気の駅です。コンクリートの長いホームに、茶色の柱と、シンプルでレトロな時代の駅名標。これらが何ともいえずレトロな港駅を醸し出しています。

両端の車両は現代的だが、昭和にタイムスリップしたかのような門司港駅。

しばらくすると、何やら見慣れない電車が入ってきました。これは「36ぷらす3」という、変わった名前の観光列車です。ちょうど運用の合間にお客さんを乗せて門司港駅に来たところのようで、ラッキーでした。

36ぷらす3を撮影する、26ぷらす3歳の男。

寒くて「モジモジ」していると、門司名物”焼きカレー”の「文字」が。「もうじっと」していられないと思い、行ってみました(笑)このカレー、表面を炙っているようで、ドリアやリゾットに近いイメージです。ちなみに門司港ではかなり名物なようで、辺りの飲食店はほぼ全てが焼きカレーのお店でした。とても美味しかったです。

カレーは万人に愛される幸せな食べ物。門司港では焼きカレーを堪能。

さて、少し時間があるので、門司を観光してみましょう。かなり多くの観光客で賑わっています。レトロな港町、といったイメージでしょうか。少し横浜を彷彿とさせるところもあります。また、門司港はバナナの叩き売り発祥の地でもあり、土産店にはバナナのお菓子などが沢山ありました。

駅前にはバナナの叩き売りの説明がある。
短足仲間がいて嬉しいつっちーであった。

もう一つの見どころへ。門司港には「九州鉄道記念館」があるのです。こちら、大人は300円で入場できる、かなり良心的な記念館です。出迎えてくれた蒸気機関車の番号は「59634」で「ご苦労さんよ」と旅の疲れを労ってくれているようです。

「ご苦労さんよ」とSLに迎えられ、温泉にでも行くかのような感覚で鉄道記念館へ。

記念館には特急車両を中心にいくつかの車両が展示されていました。国鉄581系も「月光」の表示を出して、元気に暮らしていました。夕暮れ時で、本当に月光を浴びているかのような佇まいです。この581系は3段ベッドが特徴で、夜行列車に使われていましたが、晩年は一般車両に改造されています。

月光に乗ってお月見をしてみたい。

こうして17時前の電車に乗って、小倉に向かいます。小倉へは10分少々と、門司港からはかなり近いです。出迎えてくれたのは、821系電車でした。最新鋭で、車内は植物のような柄の座席に、2次元コード柄の床。大変凝ったデザインになっています。JR九州の車両は、特急、通勤形問わず、車両のデザイン性が高くてびっくりします。

リゾートホテルではなく通勤電車の内装。

さて、長いようであっという間だった怒濤の115系の旅も最後です。小倉駅からは、新幹線で一気に新横浜駅に向かいます。たまにはグリーン車を堪能してみたいと思います。お、来たのは東海道・山陽新幹線の最新エース車両、N700Sで、車内もピカピカ。グリーン車もホテルのようにゴージャスでした。写真からもわかる通り、シートもゆったりしていて、ベージュや茶系の色でまとめられた内装はリラックスできます。

間接照明が明るく綺麗で快適すぎるグリーン車。
旅のお供はいつもの甘いセット。

こうしてつっちーは、岐路についたのでした。怒濤の115系の旅、とても中身の濃い旅でした。独特のモーター音は、まさに「機械が生きている!」と感じさせるもので、数少なくなった115系を存分に楽しむことができました。また、それだけではなく、普段あまり乗らない西日本や九州の電車にも乗ることができました。皆さんも是非、行ってみてください。

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