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大きく息を吸い込むために/CROWN POP「僕らの証」

盛岡公演、盛況おめでとうございます

今日(2022.8.14)はCROWN POP 「うさぎおいしかの山ツアー」4都市目の盛岡公演。

遠征してのライブ参加はむずかしい自分は都内でお留守番でしたが、クラポ公式さんがスタコミュで2曲も生中継してくださったので、ほんの少しだけ現地の楽しさを共有させてもらうことができました。ありがとうございます。

盛岡といえば

今日の会場は盛岡ということで、冷麺、わんこそば、じゃじゃ麺の三大麺。南部せんべいに南部鉄器。いろいろ魅力にあふれた街ではありますが、なんといってもりなてぃー……もだけど、石川啄木の出身地ですね。

不来方のお城の草に寝ころびて 空に吸われし 十五の心

石川啄木「一握の砂」

「一握の砂」に収載された有名な一句。「不来方のお城」は盛岡城のことで、「十五の心」は十五歳の心のことです。
当時、旧制中学に通っていた一(はじめ)少年(啄木の本名)の、やるせない心や閉塞感が、草っ原に寝ころんで空を眺めていると吸い込まれていくようだと感じた……そんな様子を、大人になって懐古しつつ読んだ句ではないかと言われてたりするそうです(←ここまで結構、いろいろカンニングしながら書いてます)。

当時の啄木は結構、学校をサボっていた(後に中退する)ようで、この句は「元祖サボり文学」と言われてたりしますね。

このあと「僕らの証」の話をしますが、もうちょっとだけ前置き……

今日は盛岡ってことで、クラポのライブが始まるちょっと前ぐらいの時間にこの句をふと思い出したんですよね(そしてその流れでRCサクセションの「トランジスタラジオ」を聞いていたけど、それはまた別の話)。
十五歳の少年が自身の環境に閉塞感をおぼえることはよくありそうだし、自分の中学高校時代を思い出しても共感できる部分が多いんだけど、あらたまって考えると今の自分も大して変わってない(笑)。

仕事や家庭に大きな不満があるわけでもなく、むしろよく自分なんかがこんな恵まれた環境を手にできたなと思うぐらいなんだけれど、それでも毎日、毎時間、正体不明の息苦しさを感じているし、ずっとどこかに閉じ込められている感覚や、自分がいるべきなのはこんな場所じゃないみたいなしんどさが体に脳に、心に胸に、ずっとずっとまとわりついています。

もう半世紀も生きてるのに!
きっと最期までこんななのかなあ。であれば、それはそれでもうちょっと息苦しさに慣れないとですよね。

ここからクラポ

いつも大げさでなく、CROWN POPのおかげで、この息苦しさが少し紛れるような気がして。クラポの空に吸われし紅茶屋の心なわけですけれど、でも自分だけじゃなくて、大なり小なり、どんな人でもそうした息苦しさや閉塞感をおぼえることはあるのかもしれませんね。
苦しいし、悩むから人間なんだし、昔も今もみんな変わらないからこそ、啄木の句も100年の時を経て読まれつづけてるわけですものね。

最近、「僕らの証」を聞いていると、僕に深呼吸させてくれるCROWN POPの存在をより強く、より身近に感じることがあります。

歌に「心の全て」を込める「僕」と、その隣にいるのであろう「君」。
それは、歌に乗せて笑顔や勇気、情感、感動を届けてくれるCROWN POPといつも側にいて(盛岡までかけつけて!)それを聞くポッパーの関係のようです。事実、この詞はメンバーの想いを汲んでこまつみえさんが書いてくださったとのことなので、クラポとポッパーの関係性が反映された部分も少なからずあるのでしょう。

「Q.E.D」と未来

この詞には不思議だなと思うところがあって、「Q.E.D」(証明終了)がキーワードとして各所に用いられている一方で、「心の全て込めるよ」「思い出なんかじゃ 終わらせたくない」「可能性」「答えのその先へ」などなど、随所に「未来」を示すような表現が散りばめられています。

「Q.E.D」は(証明終了)という日本語が示すとおり、数学などで証明を終えた際に記される記号です。「これこれこうで、こうだから、ゆえにこれをもって証明されました」として最後に記される記号。つまり「Q.E.D」は最後に打たれるもの、ピリオドなんですね。同じ問題に向き合う以上、Q.E.Dのその先はありません。それじゃ証明が終了してないことになっちゃいます。

でも、歌詞には未来が示されるような表現がたくさんある。

「僕」じゃない「僕ら」の”QED”
重なり合うこの声と
ここにある想いごと音に乗せたら 煌めき出すから

CROWN POP「僕らの証」/作詞:こまつみえ

「僕」じゃない「僕ら」の “QED”
たどり着いたこの今と
新しい願い事 音にのせたら未来へ繋がる

CROWN POP「僕らの証」/作詞:こまつみえ

思うに、この曲の中において「僕」は「君」とともに居つづけること、つねに「僕ら」であることを、何度も何度も証明しつづけるんですね。

「夢がひとつ叶うその度」「僕」は心の全てで歌を歌い、「君」は必ず「僕」に寄り添い声をかけ続ける。その絆がつねに「僕らの証」となり、「結んで解けていった一歩一歩」を積み重ねつづけていくのでしょう。

証明を続けていくということ

CROWN POPが一つのステージを終えれば、すべてが解決するわけではありません。ポッパーが一曲聞けば、それで人生が変わるわけではありません。

ときに不測の事態でメンバーが5人揃わないこともあるかもしれない。
さまざまな事情でポッパーもライブへの参加が叶わなくなったりすることがあるかもしれない。

けれど何があっても、どんなことが起こっても、クラポはポッパーに歌を以て寄り添い、ポッパーは愛と声を以てクラポに寄り添う。
大丈夫。どんな問題が迫りきても、つねに「僕」と「君」で「僕ら」でありつづけるのだよ。そう歌ってくれている……………………のかもしれません。

この歌がいつでも いつまでも
君のためになれるように
そう 同じ時間を紡いで

CROWN POP「僕らの証」/作詞:こまつみえ

このあいだ、TIFのHOT STAGEでこの曲が披露された際、配信(のアーカイブ)を見ながら何とはなしに取っていたメモに
「あいたん 落ち 紡いで しぼり出してる」
って書いてありました。

上の方に、あいたん 落ち 紡いで しぼり出してる とあります。読めないと思うけど……

もうアーカイブ視聴期限が切れてしまったので確認できないんですけど、落ちサビのラスト「同じ時間を紡いで」のところのあいたんの歌い方が、まさに「僕ら」でありつづけるために「同じ時間を紡いで」いこうと、想いを切に叶えんとするような、気持ちを絞り出すような歌声だったんですね。

この曲は、きっとこれからもっと歌われていって、どんどん育っていくのでしょうね。

剛柔自在なさほるんの声、いつも僕らを導いてくれるいぶいぶの声、凛とした煌めきで「僕」の覚悟を示してくれるりなてぃーの声、そして繊細な響きで感情の重なり合いや不安をも示してくれるみぃあの声。
5人の想いと声が重なった先に、どんな未来が待っているのか楽しみで仕方ありませんし、夢が叶う度に「僕ら」を証明しつづけてくれることで、僕は安心して深く息を吸って生きていける気がします。

もっと多くの人に聞いてほしい

今日、twitterを検索しているとお二人ばかり、たまたまYouTubeでこの曲に出会い、その結果「クラポいいな」と感心されてるっぽい方を見かけました(. ..)。
こんなに素晴らしい曲とパフォーマンスをどうやって広めていけばいいのかむずかしいけれど、どうかCROWN POPファン以外の方にも見て、聞いてほしい。

アイドルとファンの関係が「僕ら」であり得ることを真に証明しつづけているグループがあることを、まずは動画で実際に目にしてもらいたいものです。

孤独がもたらす閉塞感を排し「僕ら」がもたらす希望によって、私たちはどれだけ新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込むことができるか。不来方の城の空のような、大きく広がる青空が似合うCROWN POPがポッパーとともに、これからも証明を重ねていく未来がつづいていきます。
いつまでもともにあれますように。


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