TheBazaarExpress88、『みっくん、光のヴァイオリン』電子出版に際してのまえがき

「大人は嘘つきだ――――」

 2013年の秋、この本の主人公である義手のヴァイオリニスト、この時中学校1年生だった美来さん(通称みっくん)が発信したこの一本のメールが、この時日本中を巻き込んでいた一人の大人のとある大嘘をあばく、決定的な力になりました。

 この頃大きな嘘をついていたのは、この本の後半にも登場する、当時作曲家を名乗っていた佐村河内守さんでした。佐村河内さんは、小学校4年生だったみっくんに近づき、「私が君のために曲をつくってプレゼントしよう」と言ってきたのです。それだけでなく、この本にも書かれているように、小学校5年生の冬にはみっくんのためにリサイタルを開き「将来は障害に負けないでプロのヴァイオリニストになろう」と、応援するそぶりもみせていたました。

 ところが佐村河内さんは、本当は楽譜も読めないし作曲もできない、ましてヴァイオリンを習ったことも弾いたこともない人でした。佐村河内さんの影となって、代わりに作曲をしていたのは、実は別の人だったのです。

 佐村河内さんは18年間もそのことを誰にも言わずに、ずっと「自分が作曲しています」と嘘の発表をしていました。しかも、耳が全く聞こえないという嘘までついて(本当は聴こえにくい難聴だったのに)、新聞やテレビでは「現代のヴェートーベン」「クラシック界のヒーロー」ともてはやされていました。CDもたくさん売れ、コンサートでも満員が続いていたので、誰も佐村河内さんのことを疑わずに、障害を克服したすごい作曲家、現代の英雄と尊敬をしていたのです。みっくんに近づいてきたのは、障害児を応援するふりをして、もっともっと新聞やテレビにとりあげてもらおうという狙いでした。

 本書の作者である私(神山典士)も、みっくんのご両親も、そしてみっくん自身も、長い間ずっと「佐村河内さんは凄い作曲家だ」、「みっくんのことを応援してくれるいい人だ」と、佐村河内さんのことを信用していました。この本を書いた時には、佐村河内さんはみっくんの音楽の師匠でした。みっくんはそのアドバイスに従って、一生懸命にヴァイオリンを習っていたのです。

ところがみっくんが中学生になるころから、佐村河内さんの態度に変化が見られました。ちょうどそのころ(2013年3月)、NHK特集という大きな番組で、佐村河内さんの音楽活動の様子が紹介されて、CDもコンサートチケットもますます売れるようになりました。クラシックのファンだけでなく、一般の人も佐村河内さんのことを知るようになり、すっかり有名人になりました。佐村河内さんはそのこともあってか自信過剰になって、みっくんに無理難題を吹きかけるようになったのです。

「小学校の管弦楽クラブの活動は休んで、石巻で開くコンサートに出演してほしい。この時はテレビカメラが取材に来るから、その前で弾いてほしい」、

「サントリーホールのコンサートに出演させてけあげるから、義手を外してステージに上がって、お客さんの前で義手をつけて演奏を始めてほしい」

「中学校の卓球部は辞めて、ヴァイオリンの練習に専念するべき。そうでないと、プロにはなれない」、などなど。

いずれもみっくんにとっては、とても耐えられない要求ばかりでした。石巻のコンサートは、ちょうど卒業を前にして管弦楽クラブの顧問の先生にお礼の演奏をする日に重なっていました。コンサートマスター(演奏者の代表)を努めていたみっくんが、休めるはずがありません。サントリーホールでも、人前で義手をつけたり外したりしたら、普通の人だったら驚いてしまいます。静かな心で演奏を楽しんでもらうことなどできないでしょう。中学校に入学して入部した卓球部の練習はとても楽しく、充実していました。ヴァイオリンも大切だけれど、スポーツで汗を流すことも大切だと、みっくんもご両親もそう考えていたのです。

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