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外銀、アマゾン、起業を経験してきた私のタイムマネジメント【気持ち編】

ここ2−3年、自分に合ったタスクマネジメントをしながら気付いたのは、有効なタスクマネジメントには、気の持ちようも非常に大事であること。
この記事は気持ちのことを書いているが、私が使っているタスクマネジメントのツールが気になる方は【ツール編】で解説しているので合わせて読んでほしい。

瞑想・レイキ・ジャーナリング

この記事でも触れているが、私は毎日レイキを取り入れた瞑想をし、月に1度は必ずジャーナリングをしている。これは日々のタスクマネジメントにも直結している。

ここで断っておくが、毎月のあり方(ゴール設定、と考えても良い)はその年(または近い将来)なりたい自分に近づくための「その月の目標やあり方」である。闇雲にタスクを羅列しているわけではない。
私は、年初だけでなく、数ヶ月に一度、自分の人生の「理想と現実のギャップ」を客観的に見るようにしている。(英語だが、実際の手帳をどうぞ):

恥ずかしながら直近の8月の振り返り

自分の人生を構成する要素を円形に描き、1ー10(10が理想的)までの満足度を書く。さらに、評価が10未満だった場合は、今の評価から10まで何があればギャップが埋まるのかを記入する。
例えば "Health and Fitness (健康)"。これを書いた8月は、臨月で身体的にベストな状況ではなかったので、他の項目に比べて低い数値になっている。

これと合わせて年初に、今年の「理想の自分のライフスタイル」を羅列した。目標もあれば、ただ単にやってみたいことも入っている。

毎月のジャーナリングはこれらの【向かいたい自分像】から逆算して1月分に噛み砕いており、週次のタスクリストはそれをさらに噛み砕いている。
言わずもがな、日々の瞑想と「あり方」「タスク」の設定も、それを一日単位に噛み砕いたものに過ぎない。

「自分は足りていない」というマインドを捨てる

上記を合わせて、特にタスクリストを管理する際に心がけていることは「いつも遅れている」「迷惑をかけている」「自分は効率が悪い、仕事ができない」などのマイナス評価を捨てること。

生きていれば「やること」は多いし、タスクリストは消えないと私は思う。
「タスクが無くなること=夏休みの宿題が終わった」気分になりがちなのは、儚い幻想だと思う。少なくとも、以前の私はそうだった。そして、なぜかいつも追われている気持ちがあった。

無意識にタスクリストの長さで自己評価をしていないか?罪悪感を背負っていないか?一度自問してほしい。

最後に一言:会社員時代の私

会社員時代、私には上司が必ずいた。もちろん、理不尽な依頼や、理解しずらい要求もタスクとして割り当てられたことは多々あった。

ただ、私は必ず自分がそのタスクが必要であると納得するまでは引き受けなかった。説明を求めたし、説明された上でそのタスクが「必要ない」と感じた場合は議論した(さぞかし生意気と思われていたに違いない)。

タスク=向かいたい自分(または所属するチームや会社)の理想

と、私は感じている。それでいてはじめて、一つ一つのタスクの意味が感じられるし、やり甲斐もある。
例えそのタスクが「経費の手打ち入力」など地味な作業であっても….ね。
(現在毎月私がやってることの一つ)。


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