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【私の職業遍歴】今も中途半端な自分だけれど…。

いきなりだが、私は中途半端な人間だ。
50年近く生きてきたなか、いろんなものを目指し夢を見た。
そして、いろんなものを中途半端で終わらせている。

今回は、今までの中途半端に終わらせた目標を整理しながら、自分の棚卸しをしたいと思う。
中途半端な人間がこう言い切るのに少しためらいを感じるが、あえて言わせていただく。

「中途半端って悪いことじゃない」

私の中途半端の歴史を語りつつ、これからの目標について語りたい。
長い文章(3,639文字)なので、お時間のあるときに読んでいただけると嬉しい。

長い間、漫画家を目指していた


幼稚園のころから、絵を描くことが好きだった。
イラストや漫画を見るのが好きで、よく真似をして描いていた。
周りからは「上手だね」と、よく褒められた。
勉強も運動も得意じゃない私が、唯一自慢できるのが『絵を描く』ことだったのだ。

中学生のころに『漫画家セット』を購入。初めてつけペンを使ってイラストを描いた。
高校生のころには、仲間と同人誌を作ったり、漫画雑誌に投稿したこともある。投稿した漫画は2作品。どちらも一番下のクラスで終わった。

この漫画家になるという夢は、途中諦めながらも40代前半まで目指していた。
諦めが悪いと言われれば、確かにそうだ。
でも、私のなかで『絵を描く』ということは、自分の唯一の特技。
それをやめることは、『自分にはなにもない』状態になると考え、とても怖かった。

楽しかった絵を描く時間は、いつのころからか楽しくなくなった。
自分の描く絵が好きじゃなくなった。
そうして、少しずつ『絵を描く』ことをやめた。

短いグラフィックデザイナー時代


30歳のころ、私は自分のイラストサイトを作っていた。
そのイラストを見て、「一緒にフリーペーパーを作りませんか?」というお誘いを受けた。

フリーペーパーの内容は、ホテルの宿泊者向けに飲食店を紹介するもの。
私は飲食店の店主の似顔絵を描いたり、街の地図を描いてほしいという依頼だった。

とても面白いと思った。
勤めていた調剤薬局を辞め、私はグラフィックデザイナーになった。

残念ながら、この会社は1年ほどで消滅してしまう。笑
残ったメンバーで違う会社を作ったが、長続きしなかった。こちらも1年ほどで消滅した。
それからは、棚卸しの仕事をしながら、細々と知人のシンガソングライターのポスターやフライヤーデザインをやらせていただいた。

介護職員初任者研修を修了したけど…


今後の人生を考えて、なにか資格がほしいと考えた。
「介護の仕事なら、長い間働けるのではないか」と思い、職業安定所の紹介で『介護職員初任者研修』を受講した。
2015年6月の話だ。

3ヶ月の勉強の末、資格を取得。その後、施設で働くことになったが、どうにも合わなかった。周りの先輩には「介護職、合っているよ」と言われることもあったが、自分には馴染めなかった。
おそらく、未来の自分がこの施設に入りたいかと考えたときに、私は嫌だと思った時点で合っていなかったのだ。

お世話になった先生や同僚の皆さんには悪いと思ったけれど、3ヶ月ほどで辞めた。

看板デザイナーと失恋辞職


2016年(41歳)にデザイン会社に就職するも、社長との考えかたが合わず、すぐに辞めてしまう。

2017年春、保安用品を扱う会社で看板デザイナーになった。
今まで私がしてきた仕事のなかで、一番合う仕事だった。
工事用の看板は大きいものが多いので体力的に大変だったが、仕事は楽しかった。

しかし、お給料は安く、手取りで13万円ほど。
当時は同棲相手がいたが、自営で行っていた飲食店の経営がうまくいかず、私が生活費のほとんどをまかなっていた。
車のローンも抱えていたため、夜中に棚卸しのバイト(以前の仕事)をする始末。

そんななか、私は会社内で好きな人ができた。
今考えると同棲相手とのストレスから、たまたま話が合った人を好きになった気がする。
いろいろあって、2017年末には同棲相手との別れを決断した。

心機一転、一人暮らし(+猫4匹)を始めた。
それと同時に、私は好きな人の態度に一喜一憂する時期を過ごした。
単に依存していたのだと思う。
なにかにすがりたかったのだ。

そして、2019年の2月、私の好きな人が結婚を発表する。
突然の発表に、私はものすごく落ち込んだ。生まれてはじめてご飯が喉を通らず、見るからに痩せた。
今、思うと「そこまで落ち込まなくても」と言いたくなるが、このときの私は私じゃなかった。
猫がいなかったら生きてなかった。それくらいに、どん底にいた。

そして、2019年春に仕事を辞め、両親のいる町に引っ越しをする。
すべてから逃げようと思った。
仕事も、住んでいる場所も、なにもかもから逃げたくなったのだ。

「才能もない、お金もない、私にはなにもない」

このときほど、そう強く感じたことはなかった。
今思い出しても、少しつらい。

はじめての飲食店勤務


なにもないなら、せめてお金だけでもある人になろうと選んだ職業。
飲食店勤務は経験がなく、生まれてはじめてだった。
そのため、慣れるまで時間がかかった。
…というか慣れないうちに、1年半ほどで辞めてしまった。

手取りで20万円ほど貰えたが、いかんせん仕事が大変だった。
(あたりまえ?笑)

24時間休みなく、やってくるメッセージ。
シフト調整。
クレーム、そしてクレーム。

つらかったけれど、失恋を忘れるのにはちょうど良かった。
おかげで、失恋の傷は癒えた。

WEBデザイナーの勉強を始めたが…


飲食店のあとは、リサイクルショップで働いた。
今の私があるのは、この職場のおかげであるといって過言ではない。
自分の得意な分野を活かせる職場だったので、「私の好きなものってなんだろう?」とよく考えた。

【好きなもの=デザイン】と考えた私。
2020年12月、WEBデザイナーを目指して、オンラインのスクールに通う。
久しぶりの勉強は楽しかったが、だんだん自分のデザインに自信がなくなってきた。

「自分に自信のない人に、仕事は依頼しない」という講師の言葉が響いた。
確かにそうだ。
この言葉をもらえただけでも、私は高い授業料を払って勉強した甲斐があったと思っている。

どうしても自分に自信が持てない私は、『デザイン』というものから足が遠のいた。

WEBライターになり、文章の奥深さを知る


2021年の夏ころに、『WEBライター講座』を受講した。

リサイクルショップでは時間に余裕が欲しかったので、パート社員として働いていた私。おかげで、お金がなくクレジット生活をしていた。
そのため、副業を探していた。そこで目をつけたのが『WEBライター』だった。

受講を経て、晴れてWEBライターとしてデビューした。しかし、私の考えが甘いことを実感する出来事があった。
事前に調べもせず、取材先で取材をしていたのだ。今考えると本当に恐ろしい。
そのときに、編集者からやんわりと突っ込まれ、もっとライターとして一人前になりたいと思った。

もっとライターとしての知識が欲しかった私は、編集者にライター向けのおすすめの本を尋ねた。
編集者は、この本を紹介してくれた。

この本はライターの教科書であると同時に、
仕事をする上での教科書でもあると思っている。
中のページにはたくさんの付箋や、
蛍光ペンでラインを引いている。
ゆるミニマリストの私だが、
この本だけは手放さない大事な一冊。

『取材・執筆・推敲 書く人の教科書』
古賀史健:著

この本を読んで、自分はライターという仕事を甘くみていたと知る。
そして、今までの自分が、いかに仕事に対して中途半端だったのかを認識した。

本を読み終えてから、私はライターとしての意識が変わった。
それからは、ライターという仕事が楽しくなった。
副業目的で始めた仕事だったけれど、いろんな人に出会い、いろんなことを知ることができた。

今は別の副業をしているため、ライターの仕事はしていない。
でも、文章で表現する楽しさを知り、なにかで表現をしたいと考え、このnoteを始めた。

これからの目標


あいかわらず、私には才能もお金もなにもない。
でも、なにかを目指したり、夢を見たりする自分は好きだ。
人から見たら馬鹿にされたとしても、それは関係ない。
自分が好きな自分でいたい。

今の目標は、文章と写真で自分の感じたことを表現できる人になること。
そして、できれば多くの人に共感してもらえるようになりたい。
承認欲求が強いのかもしれないけれど、誰かの記憶に少しでも残る表現ができれば最高だ。

無駄なものはなにもない。

以前働いた職場で先輩にいわれた言葉。
すべて中途半端だけれど、いろんな経験ができて楽しい人生に思えてきた。
負け惜しみに聞こえるかもしれないが、本人が楽しいなら、それでいいのだ。

いろんな経験が今の私を作ってくれた。
今は、誰かに依存することもない。
なにもない自分だけれど、そんな自分が好きだ。
なにもないくせに、なんだか変な自信があったりする。

これからも、自分がやりたいことを迷いなくできる人でいようと思う。

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