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ウォン・カーウァイ作品の“鬼束ちひろ”性

巷ではどちらかと言えば、お騒がせ芸能人というイメージなのだろうか。

鬼束ちひろ。

2000年、仲間由紀恵と阿部寛主演「トリック」の主題歌「月光」で清冽にデビューを果たして早20年超。あいだも今も?いろいろありつつコンスタントに、作品を世に送り出していらっしゃる。しかもどれもこれもマンネリ感は全くなく、むしろパワーアップしている気がする。

私は、こういう歌い手や役者といった表現者のプライベートにはあまり興味がない(誕生日とか年齢、出身は気になる、多少)。であるからして、少々お行儀がよろしくなくたって気にしない。だってあなたのことは、あなたの作品に凝縮されているでしょう?それらを観たり聴いたりすれば十分。


で、先日、ウォン・カーウァイ監督「欲望の翼(”Days of Being Wild”)を観ていたら、唐突に彼女の歌が頭の中に閃いた。
特にデビュー後10年程の2000年代、狂ったように聞いていたので、無意識に刻まれた旋律へ勝手にアクセスされたのらしい。

この思い付きを書き留めておく。


おっとその前に、あらすじ紹介。

1960年代の香港で若者たちが織り成す恋愛模様を疾走感あふれる映像美で描き、カーウァイ監督の名を一躍世界に知らしめた青春群像劇。ヨディはサッカー場で売り子をしていたスーに声をかけ、ふたりは恋に落ちる。しかしヨディは、自分が実の母親を知らないことに複雑な思いを抱えていた。スーと別れたヨディは、ナイトクラブでダンサーとして働くミミと一夜をともにする。部屋を出たミミはヨディの親友サブと出くわし、サブは彼女に一目ぼれする。夜間巡回中の警官タイドはスーに思いを寄せるが、スーはヨディのことを忘れられずにいた。

(上記ホームページから引用)





スー×「蛍」

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サッカー場で売り子をしているスー。そこへヨディがふらっと現れ、「お姉さんの名前教えて?」と声をかける。最初こそこんなナンパ男警戒するも、何度か顔を合わせるうち少しずつ心を開いていき遂には、その身を任せてしまう。

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このあと、彼女が感じたであろう心情は、「蛍」そのもの。
野暮を承知ではじめから歌詞を載せる。以降、太字は筆者による。


1番のAメロ&Bメロ

時間よ止まれ
この手に止まれ
一縷の雨は途切れて消える
誰も貴方にになれない事を
知ってしまうそれを永遠と
呼ぶのだろう

想いは指を絡めるように
この夜を次第に燃やしてゆく
さよならの終わりを擦り抜けて
今でも身体を抱く

ストップ!

これってヨディ、というか演じるレスリー・チャンそのものなんではないか。貴方はもう「誰もなれない永遠の存在」になってしまったから。

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1番のサビ。

蛍 この星を舞い上がれ
遠く近く照らして踊れ
その一瞬が永遠だと
貴方は教えてくれたひと

ここはあの名台詞以外に考えられない。
スーがヨディに言われ、引き返せないところまで来てしまった台詞、


「1960年4月16日3時1分前、君は僕といた。
この1分を忘れない」



2番のAメロ&Bメロ

時間よ止まれ
この手に止まれ
光の影は薄れて落ちる

握り締めた二人の手のひらが
汗ばむ熱を上げてゆく
側にいて側にいて繰り返し
今でも哀しみを抱く

いやぁもうこれな…

「結婚はできない」とヨディに言われ彼のもとを去るけれど、忘れられず夜な夜な彼の部屋へ通ってしまうスー。最終的に会えたとき「結婚はどうでもいいわ」「一緒にいたいの」と言う場面そのものでは。

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再び、サビ。

蛍 この闇を舞い上がれ
涙で霞む夜空を踊れ
その一瞬が何もかもだと
貴方は教えてくれたひと

そうだよ、その一瞬、あの1分。



Cメロ

硝子越しでもかまわないと
私は無力さを晒してゆく
愛なんてわずかなものを
頼りにしたあの夏を

この再会があってから、ヨディが自分の元へ戻ることはないとやっと確信できたスー。
スーの後にヨディと関係を結ぶミミ(後述)が、映画の後半、突然いなくなったヨディを探し、元カノであるスーのところへ押しかけ一方的に罵る場面がある。「会ったんでしょ?!」とかとか。
そのときには既に吹っ切れていたスーは言う。「自分はもう乗り越えた、次はあなたが泣く番」、と。その気持ちを表しているかような歌詞だ。



ラストのサビ。

蛍 この星を舞い上がれ
遠く近く照らして踊れ
その一瞬が永遠だと
貴方は教えてくれたひと


蛍 鮮やかに心を焦がせ
強く弱く光って踊れ
全てのときは一瞬だと
貴方は答えてくれたひと
貴方は教えてくれたひと

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ミミ×「陽炎」

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ヨディの養母が経営するナイトクラブの踊り子であるミミは、ひょんなことからヨディと一夜を共にする。その日から彼にハマってゆく。


スーが、未練がましく彼の元を訪れたときも、実は部屋にいたんである。ふたりの会話を盗み聞く中で、ヨディの言葉に不安を募らせていくミミ。

「今はともかく、いずれ俺が嫌いになる」
「不幸になるぞ」
「誰を愛したかなんて忘れたよ」
「死ぬまでこんな調子さ」

元カノ、スーへ向けた言葉だけど。
いずれ、あたしも…?

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こういうの、「陽炎」がぴったりだと思いますが。
終盤のサビ。

貴方をさらってしまいたい
春の息吹 夏の風
冷たい水面に言葉を浮かべて
涙がひとつ

貴方をさらってしまいたい
秋の鈴鳴り 冬の吐息
微かな祈りを両手ですくって
涙がひとつ さよならひとつ
貴方がいなければ
ただそれが全てだと

南方の中華系女子である故、春の息吹やら夏の風、秋の鈴鳴りだの冬の吐息といった風情とは全く無縁だろうし、「貴方がいなければ…」とは1ミリも感じていないと思われるが、「この男を自分だけのものにしておきたい、誰にも渡さない」というヒリつく感情は共通している気がしてならない。





「欲望の翼」のおはなしはここまで。
その他、映画は未見なのだけど、YouTubeで予告編等をつらつら観るに、こういうカップリングかな~というのをいくつか。




「恋する惑星(”Chungking Express”)」×「惑星の森」

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「惑星」つながりという安直な汗
でもイントロの浮遊感だったり、冒頭の歌詞だったりは、うまくマッチしていると思う。

惑星の森で捕まえて
貴方が探してくれるなら
目眩く(めくるめく)日々で見失う
結末の在り処を
始まりの行方を
私は次第に意味を失くす
貴方がここにいないのなら
どこまでさまよえば


しっかし「恋する惑星」、当時めちゃくちゃ流行ってたことだけは、鮮明に覚えている。自分は遠巻きに眺めていただけだったけど。そこから20年以上も経つ今観ても確かに、ポップでスタイリッシュだし、何よりフェイ・ウォンがかわいい、トニー・レオンもかっこいい(ん?ブリジット・リンと金城武は?)。主題歌「夢中人」もcuteで、どことなく「惑星の森」ぽい雰囲気だ。

やってることは相当ヤバいよねぇ...トニー・レオンの家に家宅侵入...微苦笑



「花様年華(”In The Mood For Love”)」×「ヒナギク」

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こちらは偶然にも”花”つながり。

行きたい
踏み外す道さえも
ただ追い掛けてゆきたい

触れれば
淡く舞う口づけも
ただ連れ去ってゆきたい

足りない情熱が
心に傷をと責め立てる

貴方は蝶になれぬ羽根
蛹の涙が落ちる

風よ煽り立てるがままに
私を迷子にさせないで
一縷に覚める夢かのように
楽園に火をつけて
愛は今も燃え続くヒナギク
運命色(さだめいろ)の花びら
運命色(さだめいろ)の花びら

「私を迷子にさせないで」と思っているのは、マギー・チャンではなしにトニー・レオンの方だったりして。



「2046」×「夏の罪」

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ウォン・カーウァイの“60年代3部作”、「欲望の翼」「花様年華」の完結作と言われている。錚々たる顔ぶれですな。

(略)
最初で最期の嘘なのに
私達はすぐに見破り合う
砂漠に埋もれた恋の矢は
錆びることなく日々を超える

(略)
行方も知らない 私のやわなひと
続け物語 褪せない物語
どうせ叶わぬなら夢でさえもなくして

儚いのに愛はどうして
激しく心に挑むのだろう



最後に、レスリー・チャンとトニー・レオンのイチャラブムービー「ブエノスアイレス(“Happy Together”)」についても考えた。しかしアルゼンチンタンゴ/バンドネオン以外の選択肢は許容できないので、割愛。苦笑






この記事を書くにあたり久しぶりに鬼束ちひろのPVやライブ音源を聞いた。

やっぱり引き込まれた。

1度でも心を揺さぶられてハマったアーティストは、少々足が遠のき離れたとしても、好きな気持ちは消えずに残りまた舞い戻って来るようで。
デビュー後10年経った2010年くらいからあまり聞かなくなってしまったけど、そんなのお構いなしに彼女は作品をつくり続け、歌い続けている。これはこれで、聞いてみなければ…!

その前にだ、未見のウォン・カーウァイ監督の映画を観るのが先…!




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