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ある少女との出会いから

「南 花子」

少女の名前はそう記されていた。

はじめて会いとても短い時間であったにも関わらず、たくさん対話し多くのことを教わった。彼女の印象はとても強く、別れてからもいろいろ頭から離れなかった。

戦争は多くのものを奪うことを知っている。多くの争いは人の命を奪い、大切なひとを失った者の悲しみは次の争いを生むことも知っている。ただ、戦争が終わり30年近く経った日本に生まれ、両親に恵まれ何の不自由なく過ごしてきた自分はその争いの痛みを知らない。そんな自分にとってこれまで毎年訪れる終戦記念日に特別な気持ちなど無かった。いくつかの本を読み、毎年のように戦争にまつわる記事を読んだとしても、自分のなかではなにも生まれていなかった。

その少女に会ったとき、彼女はひとことも言葉を話さなかった。その彼女の全てが30cm四方の箱に収められていた。その箱を包む白かったであろう布に記された文字。「南 花子」、それが彼女の名前である。71年前の今日、彼女は確実に生きていた。戦争が終わり全てを失った彼女は、南の島から船に乗り広島の港に到着した。そしてその数ヶ月後、彼女は死んだ。彼女のことを知るものはひとりもおらず、彼女は家族を奪われ、そして命を奪われ、名前さえ奪われていた。「南花子」という名は、戦後の混乱のなか孤児たちのために全てを捧げた人によって名付けられた。「南の島から帰ってきた女の子」その名前を持ってこの世を旅立っていった。

その彼女は今、ある児童養護施設の納骨堂にいる。彼女に旅立ちの名前を送った方が開いた施設である。その施設には現在80人ものこどもが暮らしている。そこにいる全てのこどもが多くのものを奪われてきた。そのようなこどもが終戦から71年経った今日も、日本だけで5万人近くいる。

今年、そのようなこどものための活動をひとつの事業の柱とするNPOに参画した。「Living in Peace」その名を持つ団体の活動は、多くの優しさの上に成り立っている。しかし、今日の日本においても様々な意味で過酷な環境のなかで暮らすこどもたちが、平和のなかで暮らすにはまだまだ優しさが足りないと思う。

今日はこれまでの「8月15日」とは何か違う。

来年は花子ちゃんにどんな報告ができるだろうか。

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