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人間は自然界に、どんな周波数をもたらすことができるのか

写真は昨日、曇天の玉川上水。太宰の歩いた道。

道の途上を記す。

これからは意識のトレーニングだと思い、いろいろ始めたのが、かれこれ10年前。
わたしにとってそれは、心のトレーニングではなく、体の意識を手探りしていくことだった。

今では、細胞のイオンチャネルや、神経のシナプス間隙の意識にまで、観察の目が細かくなっている。
それらは複合的に、人間の行動や感情と直結している。

しかし、現代医療が考えるような「細胞レベルで見つかる物質(タンパク質の変異)に病理の原因がある」という考え方には、どうにもなじめない。

体がどう動くかも、どう動かなくなるかも、体にとっての物質的な変化は何らかの肯定的な適応であり、細胞で起こっていることは結果でしかない。

わたしたちは世界の解釈や思考、感情、また行為からはね返ってくるフィードバックにより、いくらでも生体内の分子構造を書き換えている。
同時に、それらが恒常性、自己同一性を保てるようなメカニズムも兼ね備えている。

意識、音、色、または肉体に流れるエネルギーライン、観察。

それらをどう使えばどうなるのか。
遺伝子レベルでは、アンチセンスか、メイクセンスが起こる。
エピジェネティクスなメチルマーカーが変わる。
メチルマーカーを変えたいと思ったら、外的な作用のみでは免疫反応が起こるので、食療法で外界を内在化するか、または内的な作用が必要になる。

自分自身の学びでいうと、施術の仕事で取り入れているボディートークの世界観と、オイリュトミーで教わる音の響き(父韻、母音とその重なり、音階や音程)とが、どう結びつくのかを、ずっと研究している。

施術の治癒過程には、二つの方向性がある。
一つは、人間の現代生活が、どれだけ自然界のエネルギーから逸脱し、その毒性を解除できるのか、という治癒過程。
もう一つは、人間の精神の営みが、自然界に対し、どのような新たな周波数をもたらすことができるのか、という治癒過程。

音楽の響きは、前者の治癒過程に、言葉の響きは、後者の治癒過程に関わりが深い。

頭では理解しづらく、こうしたことを施術家として体系化したり、治療のディテールの中で生き続けることも、本来の目的ではない。
だからこの施術家を、はやくフィクションの中で生きさせてやりたいと思う。そうすれば、はじめて人の目に具体的に映るものになるはずだ。

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