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豆腐餻の絶品キャベツ炒めと、クサイ思い出

沖縄の「豆腐餻」をいただいたので、キャベツ炒めにしたら、泡盛のアルコールがうまく飛んで絶品だった。
中国、台湾の「臭豆腐」も大好きだ。発酵時間への敬意を込めてchòu dòufu(チョウ・ドウフ)と呼んでやりたい。こちらは揚げたのが旨い。

子どものころは、周囲は自作農家や兼業農家ばかりで、人糞堆肥が当たり前にあった。肥溜めで発酵させ、農家のおかみさんたちがエッチラオッチラと肥桶を担いで、畑に撒く。

ある日、おかみさんの一人が、うちの前で肥桶ごとすっ転び、中身をブチまけた。発酵した堆肥は、独特の発酵臭がする。なんとなくいい匂いがする。

肥溜めに落ちたこともある。あれはつらい。

そんなわけで、クサヤも豆腐もチーズも、発酵臭にはどこか懐かしさがあり、タンパク質のなれの果てを楽しむのが好きだ。
しかし、生活の中のトイレには、子どもの頃から恐怖のトラウマがある。
恐ろしい場所、という印象がいまだに残っている。

おねしょも中学生になるまで続いたし、悪夢をよく見た。
いつからかというと、保育園時代にはすでに、おしっこやうんちがコントロールできていなかったから、何か怖い目に遭っていたのだろう。

排泄にトラブルがあるのに、食べるほうは順調、というわけにはいかない。
入るのと出るのは、ふたつでセットだ。
さすがに今は、病気だのトラウマだのといったいろんなことは乗り越えて楽しく暮らしているが、いまだに崩れがちなことがある。

それは、友だちと会うこと。
仕事だの会合だのといった理由のない集まり、親しい間柄ほど、後で心身のバランスを崩す。
アニメ「ONE PIECE」は800話を一気見したが、サンジの作った美味いメシを仲間でわいわい食う「麦わらの一味」には加われないタイプだ。

人に言うと引かれるので、言わない。
気を使われたりアドバイスされるの嫌なので、自分の弱みは言わない。

ご飯を食べるときは、最大限の良識と仮面を顔にくくりつけて、心の中で早く帰りたいと叫んでいる・・・などとはおくびにも出さない。

発酵食品を食べることが増えて、発酵の微妙な匂いのグラデーションを思い出し、子どもの頃の恐怖と、口と腸のアンバランスを思い出し、わたしが単に「麦わらの一味」に憧れているだけの寂しい人であることを、書いてみたくなった。

今は時間を見つけては生理学のnoteを書いていて、グダグダとまとまりのない磨きのなさにうんざりしているが、やはり一度は思いのまま、迷いのままに書いてみようと思って連載している。
読んでもらう技術は、その後でいい。

そんな感じだから、「スキ」が届くと、とても嬉しい。
誰かが、読んでくれている。

人嫌いという名前の、人への憧れと、
理解されなくていい、という名前の、わかってほしいという思いと。

これを機に、社交辞令でご飯やお酒に誘ったり、誘われたりから卒業する。
みんな好きに生きたらいいのだ。

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