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ふとした違和感が、自分にふさわしいことを教えてくれる:言葉とカラダには、未然形の美しさがある。

ヒト胚からの発生、形の変化を追う胎生学の領域がある。

生理学の領域もある。
体の主たる働き、神経系、血液循環、消化器系、ものごとを取り込み自らに同化させる過程と、エネルギーを使って四肢を動かし、排泄する異化の過程を追う。

こうした体の営みと、言葉の営みとを結びつけた、「三種九品(みくさここのしな)」という領域がある。

言葉の営みにも、たった一つの受精卵から森羅万象を名づける言葉が生まれていく成立過程を追う領域と、体言、用言、その活用といった言葉の主たる働きを追う領域がある。


文法と天地造化の法則とカラダの法則、この三者は、同一のものから発生した。そうでなければ、言葉とカラダは、決して結びつくことはできないだろう。(『金鱗の鰓を取り置く術』笠井叡著 より)

言葉とカラダの結びつきを、体の動きや力の流れで実践していくことを続けている。

日本語の響きの美しさは、高校以来、わたしを生き延びさせてくれている最大のエネルギーなので、今こうして、その根本と出会い、学べていることは僥倖の巡り会いだ。

言葉の中でも、ものごとが未だ実現していない、消化されていない、未然形、可能態を表す活用や、その派生形であるう音便は、響きにおいても別格の美しさを感じる。

「ありがとう」は、「有難し」のう音便。

わたしたちは「ありがとう」を、他の用言につけて「ありがとうございます」ということもできるし、未来の感謝として「ありがとう。」ということもできる。

この、まだイマジネーションの状態、未然形、可能態という軽々とした言葉を、潜在意識の上では「行動に結びつかない」「実現を否定している」として排除してしまうのを、よく目にする。

いろんなことの実現がどんどん早くなって、言葉も変化していくのかもしれないけれど、言葉の胎生学は、その成り立ちをお腹の中で何千年、何万年と刻み続ける。

わたしは、可能態、想像の美しさの響きにとどまれるよう、祈り、願うことのできる言葉のつかい方をしていこう。

「〜しよう」という強い意思もまた、「う」の響きをもつ。


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