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僕がイラクに行く理由

週末からイラクに5日間ほど行ってくる。ご存知の方も多いと思うけど、僕が15年前の4月7日に武装勢力に拘束された場所。様々なバッシングがあり、僕は4〜5年近く対人恐怖症やパニック障害、ひきこもりの期間もあったりするなど社会から孤立した。

去年の4月にabemaTVに出て、その体験を語った。あまり人前に出たくなかったので、これまでテレビ取材など断ってきた。自分の体験を語ることで心が黒くなる感じがして、怒りの感情や誰かにぶつけたくなる感情が出てくることもある。それでも、多くの周りの関係者に助けられて、僕の命があると思っている。だから、語りたいと思ったし、今の自分のNPOの仕事にもつながっているからこそ、テレビに出て語った。

そこから、1年。時間から15年。時の流れを感じていて、何か気持ちを整理したいと思って僕はまたイラクに行こうと思う。

今回は行く場所は、イラクといっても日本の領事館があるエルビルというクルド自治区で世界の安全都市としても選ばれている地域。

僕は15年前の4月7日に人質事件になったときに何もせずに帰ってきた。あのとき、何もできずに帰ってきたのに英雄的な扱いをされたこともすごく嫌な思いをしたり、バッシングもあった。街中で知らない人にも罵声を浴び、殴られた経験もある。生きた心地がしない日々を僕は死ぬこともできずに生き、今日まで生きてきた。「死んだら、楽になる」とは思ったが、自分の体を土に還すことは怖くてできなかった。

でも、なんとか友人たちのおかげで今は精神的に回復して、就職。その後、起業。今は起業して8期目。不登校や高校中退をした高校生たちなど10代とのつながりをつくり、就職までのサポートなど実現させてきた。

寄付型のNPOとして小規模だが、関西を中心に広げてきた。

今年、そんな事業のことが注目されてきて出版することが決まった。自分の経験とともに今のD×Pの事業のことも書きたいと思っているのだが、出版する前に一度、イラクに戻りたい。イラクでの支援の現場にも入って少年兵達と語ったり、ボランティアしたり。そんな予定を組んで5日間ほど行ってくる。

イラクの支援の現場を見ることで、改めてD×Pの現場のことも見たいと思っている。日本の貧困や10代の子たちの生きづらさは紛争地や途上国とは全く別物だと20代のときに思った。日本の子どもたちは孤立していて、家にも居場所がなかったり、誰からも支えられない現状、そんなところから自分の力で社会に一歩出るなんて自己責任で終わらせられるはずがない。絶対に誰かの支援が必要な現状がそこにはあった。

とはいえ、世界には様々な苦しんでいる子たちもいる。だからこそ、改めてそういった現場にも触れて自分のNPOの今後も考えていきたい。

あと、素直に直感的に「行くか」「行かないか」という選択で自分で足を運んでみるという選択をしたい。きっと何も変わらないかもしれない、何かが変わるかもしれない。でも、人生ってそういうことの連続で自分が生きている中で自分の意思で選択することが生きる熱量を作るんだろう。生物には熱があり、エネルギーという生命、死んだらそれは無くなって僕たちは冷たくなってしまう。生きている間の熱、僕はすごく大切にしたい、と。言葉にしづらいけど、そんな感覚があって、僕は自ら選択したい。

あと、行けるとしたらこれが最初で最後ぐらいのタイミングかもと思っている。子育てなどもう少ししたら始まるかもしれない。結婚もしたので。もうひとつ、たまたま2月や先月に知り合いのNPOの教育関係の代表がエルビルに入ったことやNGO関係者にも「安全だからぜひ」と言われたこともきっかけになっている。

ちょっと、勇気を持ってここに書いてみた。ここに書くのもなんだか、ちょっと怖かった。ダサいよね。でも、これも自分。向き合わないとな、と思って。自分の過去とか乗り越えるもんじゃなくて、体の一部にして行く感覚があって、過去と僕は一つになって生きていっている。

15年経って「何いっているんだ、おまえ」とのツッコミはありです。でも、大した人間じゃない。そんなのが僕です。そして、仮にできていない人間だとしても、僕はこれからの自分のNPOの仕事を仲間たちや寄付者さん、ボランティアの皆さんと作っていきます。

認定NPO法人D×Pはこちら。

あと、最後になるけれど、

一昨日の夜、3回目の砂漠マラソンをチャリティーで走る企画、始めた。

僕にとっての新しい挑戦。ぜひ応援してほしい。

さて、今日も生きよう、明日も。熱が冷えてしまう前に。

D×Pへの寄付も嬉しい!  http://www.dreampossibility.com/be_our_supporter