パパじゃないけど、パパになった。
「本当に、一緒に住んでいいの?」
「うん、いいよ」
と6歳と7歳の2人の女の子に話された。
まだ会ってから3回だけ。シングルマザーのパートナーと出会ってから、パートナーの子どもたちと遊ぶようになった。コロナ禍でバタバタしていたが、週末に公園を遊びにいったり、ご飯を一緒に食べたりする中で「のりー」と呼ばれるようになり、一緒に住み始めてから数ヶ月が経った。
生活の激変の始まりは、その最初の会話。電撃結婚じゃないが、子どもたちに「一緒に住みたい」と言われて、「え、本当にいいの?」と立ち止まる。とはいえ、僕の性格上ノリで決めることも多い。「まあ、それも楽しそうだ」と思って住み始めた。仕事の兼ね合いもあったが、「どうせ変えるならばラディカルに変えよう」と思って一人暮らしの環境から「一家4人」の生活になった。電光石火の激変。
シンプルに、どれだけ生活が変わったかというと、
・週5〜7で外食で人と会っていた→ほぼ外に出なくなった
・週2〜3回は夜ご飯をつくるようになった
・保育園のお迎えに毎日いくようになった(こちらは最近)
・土日にほとんど仕事をしなくなった(子どもたちと遊ぶ)
・平日も仕事する時間は半分ぐらいになった
など、物理的に時間が無くなったので、スタッフに仕事をお願いしたりすることも増えました。
コロナ禍もあって変化したこともあるが、わかりやすい変化だけでもこれだけある。そして、休校期間も一部いたが、そのときに学校の勉強を教えたりすること、お風呂に入れたり土日に一緒に遊んだりいろんな体験をしたり。ほんと、激変。
もう、「娘たち」といっていいのか悩むのだが、4人で暮らしてから数ヶ月経った。「娘たち」とは血はつながっていないし、血のつながっているパパがいる。パパと定期的にも会っているので、2人には「僕のことはパパって呼ばなくていい、ノリでいいよ」と話してる。「娘たち」は外では「パパ」と僕のことを便宜上使っていることもよくある(と学校と保育園で聞いた)が、僕はただそばにいる人でいいよ、と思っているし、家でもどこでも「のりー」と呼ばれてる。
とはいえ、法律的には普通養子縁組を結ぶことになった。つまり、法律的には養父になり、2人にとっては法律的なパパになる。だから、パパじゃないけど、パパになった。数ヶ月でこういった変化が起きることは驚きかもしれない(自分でも驚いている)。でも、一緒に過ごして奮闘して、一度泣いたこともあった。ストレスで疲れ果ててしまったこともあって、パートナーに「もう嫌だ」と嘆いたこともあった。
でも、これは奮闘日記。ステップファザー (継父)として、養父として一緒に共に暮らしていくことは自然となっていった。日本では養子縁組を組む家庭が113,824もあるという(2018年度、政府統計)。これは婚姻届を出すのが1,365,594なので、結婚するときに1割弱の家庭が養子縁組を組んでいる。
ただ、僕もステップファザー として暮らす中で悩むことも多く、文献などもあまりない中でこの数ヶ月過ごしてきた。僕がこの奮闘日記を書くことで血のつながりを気にしたり、子持ちで結婚することや養子縁組をすることに悩んでいる人にも届いて欲しいと思い、自分が悩んだことなど書いてみる。
子どものことを聞ける仲間がいない
一緒に暮らし始めて、とにかく困ったのは子どもの育児や成長に関して誰にも聞ける環境にいないことだった。コロナの影響も大きいが、子育てしている家庭で同年代の友人とか、相談できるみたいなアンテナを立てたことがなかった。暮らし始めて1ヶ月ぐらいは高揚感もあるせいか、何をされてもあまり気にならなかったが、それぐらい経ってくると小学生と保育園の娘で「え、これわからないの?」と戸惑うことがあったり、食事の時に遊ぶことなど目についてきた。もちろん、最初は怒らないが、どうしても気になってしまう。「これって、世間の同年代の子たちにとっては普通なのだろうか」ということも気になったのだが、知り合いもいないし、コロナの影響もあってパパ友やママ友みたいな人ができるわけでもないので、他の子がどのようになっているのかみる機会がなかった。
僕自身は、不登校や高校中退した子たちに現場で長年関わってきたが、幼児期や小学校低学年の子たちのことは全くわからなかった。生育的に何ができる、この年齢で何がわかって何ができないのか、子どものときからみてるわけでもないので、感覚的に把握できない。考えてみれば、里親になったりするときに子育てにおける研修を受けたりするにも関わらず、なぜステップファザー になるときには研修がないんだろう、生育の状況や接し方の基本など本当は学ぶ必要性があるんじゃないかと思いながら、とはいえ何も知識がないまま育てられないと思って何冊か本を買って、朝早く起きて読んでいた。
また、友人で家族社会学の永田先生からは「若年成人継子が語る継親子関係の多様性 ─ステップファミリーにおける継親の役割と継子の適応ー」を教えていただいて読ませてもらった。
読みながらステップファザー による過度なしつけなどは特に気をつけた方がよいこともわかってきたので、気をつけようと思った。僕自身は子どもたちに「否定せずに関わる」ということを仕事でも気をつけてきた。しかし、だ。周りの育て方が全く見えないので不安感が強くなるし、娘たちとの接し方が掴めない日々がつらかった。
また、小学生の娘は慣れてくると日に日に癇癪を起こしたり、パートナー曰く「これまでみたことがない」甘えのような行動が出てきたりしてきた。パートナーが以前結婚していた時に家庭内で喧嘩もかなり多かったらしい。エスカレートして、子どもたちが涙したことも多かったようだ。そういったことがあって離婚したようだが、それまであまり小学生の娘は感情を出さない様子だった。が、「のりちゃんがきてから急に話すようになって、甘えが出てきた」と話していた。
感情を出してくれるようになったのは喜ばしいことだ。甘えが出るようになったのだろう。しかし、癇癪を起こしたりすることには対応慣れをしていないために最初は特に困った。最初は僕自身もイラついてしまうことも多かった、本当に。イラついてしまう自分にもイラつく、ということもあった。この数ヶ月で癇癪起こしたときに抱いてあげたり、よしよしと安心させてあげたりすることを自分でも覚えたが、最初の頃はどうしていいのかもわからず困り果てていた。
ただ、住み始めてから数ヶ月経って地域のパパ友やママ友が少しずつできるようになったり、知り合いが家の近くに住んでることがわかって交流をするようになってきたことが僕にとっては心強かった。同年代の子どもを持っており、子どもとの接し方を見た後に「家ではどんな感じなの?」と話していると「家では、○○に悩んでいて」と語ったり。そういった話をきていると「もっと力抜いて子育てしていいんだ」と解放された気持ちになっていた。自分は、まだ子育て初めて数ヶ月、それで完璧を求めてどうするんだ、と。
完璧じゃなくていいんだ、と思ってから少し気持ちが楽になった。
無償のgiveを譲る(完璧なんて無理だけど)
ある日、僕にとって事件があった。
僕がずっと関わり続けてきたある高校生が近くに来たので、娘たちと遊ぶ機会があった。当然、初対面。しかし、その高校生の子とはオンラインで少しだけ話したことがあり、そのときに会う約束をした。当日になって、その子とあったときに小学生の娘は異様なテンションの上がりようで、いつもならば初対面だと引っ込み思案であるにも関わらず、積極的に「あのさ、遊ぼう、遊ぼう」と話をしていた。
僕はそのとき不思議な感情が芽生えてきた。嫉妬だった。お客さんがきて、娘たちは2人とも親しく接していて、「なんで僕じゃないの!!!!」みたいな感覚。僕は嫉妬心など、ほとんど恋愛でも持たないので不思議な感情で、自分自身に驚いた。
でも、ステップファザー にとってはこれは当然の感情なのかもしれない。自分が育ててきたのに、ずっとここ最近朝早く起きて仕事もしながら「尽くしてきたのになんで他の人と親しくしているの!!」みたいな感覚。まるで初恋の恋愛のように嫉妬心が湧くのだと思うのだが、ただ、すぐに落ち着けた。たぶん、これは訓練のようなものだ、と。一歩引いて、娘たちが他の人と楽しそうに関わることも見て、見守っていくことは大切だ。だからこそ、これは見守ろう、と。
ステップファザー という役割を付与された時に「おれもこうやっているんだから、お前もしろよ」みたいな感情になりがちな気がしている。洗い物もして、片付けもしているから、あなたはこうしなさい、みたいな勝手な感情。でも、数ヶ月たってみて今は思える。すべてgiveするぐらいの姿勢があったほうがいいように思う、洗濯物も洗い物もしている、片付けもしているんだから、ゆうこときけじゃだめ。でも、すごくそうなりがち。自分のお金も時間もすべて割いているのに、なんでいわれたことできないの、みたいなgive and take的な感情に陥るのはステップファザー の罠だと思う。
でも、親って本来は違う。僕の祖母は厳しかったが、ずっとやりたいことをサポートしてくれてたし、無償のgiveを僕に与え続けたと最近気が付いた。両親からの無償のgiveもたくさんあったと思う、見返りも何もないgive。それを譲らないけないんだろうなーと。叱られたこともたくさんあったけど、きっとそうだ、と。とはいえ、僕にも感情があるから難しい。すべてうまくいくわけなんてないだろうし、たぶん50〜60%ぐらいの完成度だろう(めっちゃ感覚値)でも、半分ぐらいはきっとできる。なんと難しいことなんだろうかと思いつつ、最近心持ちを持つこと自体も楽しくなってきているので、それでいいのです、きっと。
仕事をしつつ、子育てをすること
高校生がきてくれたこと、あと娘たちと家の外で出会う人たちのおかげで僕は学ばされて。そんな数ヶ月、外にも出づらかったし、知り合いもできづらかったけど、ようやく最近になって生活のリズムができていたように思います。
でも、本当に、本当にこの数ヶ月間、目がぐるぐる回るぐらい忙しかった。夜中に下の子が起きてきて、オネショすることがあって、布団を夜中に洗って寝かしつけたり。転んでしまって泣いている状態を見て、「まぁ、いけるやろ」と思っていたら、ずっとそのまま泣いていて、20分ぐらい待ったり(結局、ずっと泣いてしまって、抱っこして帰りました)。パートナーとは小学校の娘のことでパソコンを買うことを決めたり、上の娘にとってストレスになっていた月一で送られてくる学習教材を夏にストップすることを話して決めたり。やりたいことをやらせてあげたいと思って、習い事に連れて行くようになったり。
日々、僕は不登校や高校中退の子たちと関わっているし、これまでnoteだと仕事のことメインで描いてきたと思う。仕事は僕にとって大切なものだし、最初はその時間を減らすことに抵抗があったし、今でも隙間時間に仕事をしたりしてる。でも、パートナーや娘たちと一緒に暮らす生活は楽しい、忙しい、時に苦しい。でも、一周回って楽しい。
一緒に散歩したり、
日々、ご飯をつくっています。
パートナーの影響で週末、農業もちょっとし始めました。
農業で、子どもたちと遊びながら。
「すごいもの、つくってきたやん」と娘に言ったり。
「セミだー!!!!」と10匹近く一緒に取ったり。
これからどんな生活になっていくのか、まだまだ未知数。
でも、パパじゃないけど、パパになった。
僕の幸せも変わってきた。
人生って面白い。
今を生きます。