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手が届かなかったモノが手に入るようになることは。

子どもの頃、母親は専業主婦で料理も好きな人だったので何でも手作りのモノを食べて育った。

アトピーだったのもあり、食にはかなり気をつけられていたと思う。果汁ではないジュースを飲んだのは小学生も高学年になってからだし、お菓子は買ってもらえる時でも50円までだったので選択肢は限られていた。

50円では買えない憧れのお菓子というのがいくつかあった。その中でもよく覚えているのがペロペロキャンディ。ロリポップというやつだ。

Dr.スランプアラレちゃんが持っていて、おいしそうというよりオモチャみたいな食べ物を片手に歩く自由さに憧れていたのだ。

買い食いというのも許されていなくて、道端でモノを食べるというのが完全悪と教え込まれていたので、たまに友だちの誘いで駄菓子屋に行き、店先でお菓子を食べることがたいへんなスリル感だった。一度だけ母親に見つかり、叱られるでもないけれど厳しい目線だけを注がれたのは気まずかった。

何をやっても自由になった今でも歩きながら食べることに慣れていないので、だいたい家に持ち帰って食べる。

話は戻ってロリポップ。

自分で簡単に買えるようになって初めて食べた時は、もうアラレちゃんに憧れる自分ではなくなっていたが、どんなもんかと食べてみた。

とてつもなくうまいというわけではなかった。憧れていた時に食べたらどう思ったのだろう。一度食べたら満足して忘れ去っていたが、flyingtigerで見た時、欲しくなった。

こういう時ってたぶん自分はいつもの自分から逸脱したい時だと思っている。漫然としている生活に馬鹿みたなモノを摂取することでちょっと開放されるみたいなこと、ある。些細なことだけどそんな合図のような気がしている。

よく見たら飴だけではなく、マシュマロもあった。わたしの大好きなマシュマロ。買うしかない。一緒にチーズ味のコーンスナックも買ってきた。

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飴とは違って、あっという間に食べ終わる。正直、マシュマロはエイワのが一番美味い。やはり日本人の舌に合わせて作られているからな。

スナックもチートスやスコーン感覚で食べると食感が全然違う。でも食べていくとこれはこれとしておいしい。やさしめのチーズ味だった。

チートスはそもそも日本じゃないが、チーズ味のスナックの中ではもう殿堂入りの別格。チーズ味の新参者はたぶん漏れなく食べているが、最後に帰る場所はチートス。お前だよ。

チートスと初めて出会った日のこともよく覚えている。それも小学生高学年で自分の小銭を持つようになった頃。最後に指に残った粉まで舐め尽くした時の感動。世の中にはこんなにうまいモノがあったのか。

それまで無添加で育ててくれた母親の厚意を台無しにするようだが、出会ってしまったのでしょうがない。自分はジャンクな味が大好きだったのだ。

知らないこと、知らない味、知ってしまったらもう二度とその前の感覚には戻れない。

初めて見るものばかりの子どもの目には世界がどんな風に見えているのだろう。自分にもそんな頃があったのに全く思い出せない。

いろんなことを知ること、経験することは素晴しいことなのに同時に失うものもあるんだな。

自分はいつでも新しいものが見たくて、知らないことを知りたくて同じことの繰り返しがとても苦手。毎日職場と家の往復が続くと旅行に行ったりして生活をシャッフルしていた。それもコロナになってからできず、狭い範囲で同じことをし、同じものしか見ることができていない。

旅に出たい。