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131「神曲 天国篇」ダンテ

地獄篇、煉獄篇、と順に読んできてようやく天国である。下世話な人間なので清いものよりはおぞましいものの方に興味深々ではあるが、やっぱり『地獄篇』だけでなく『天国篇』まで通してよむと黄泉の国旅行記として達成感が違う。
 漏斗状の穴を地底に向かって降りていく地獄、地獄の底からぐるっと重力を反転した山を登っていく煉獄、天空を上昇する天国。ビジュアルのイメージの壮大さは、貧相な私の想像力をもってしてもぶるっとさせられるくらいの迫力がある。


 ダンテは地獄、煉獄を案内してくれた詩人ヴェルギリウスと別れて、初恋の人ヴぇ跡リーチェに導かれていよいよ天国に入る。
 天国には何しろつくだ煮にするほどの天使がいる。悪いけど昆虫ぽいと思ってしまうくらいの天使大量出演。さらにはちょっと高いところからキラキラ光る美女がやたらと降りてくる。さしずめ宝塚歌劇団。
 地獄篇はホラー系のアミューズメントパークっぽかったが、天国は宝塚というのは、さすが中世最高の詩人、わかりやすいうえにもてなし上手である。

 そうかと思えばひい爺ちゃんが出てきて「昔はフィレンチェもよかったよ」なんて話をはじめたりする。急に法事みたいだ。結構えらいおじいちゃんなのでダンテもどうやって話しかけていいのかよくわからずに、もじもじして他人行儀にしてると、横でみているベアトリーチェに笑われる。ベアトリーチェから人間味を感じるのはここだけなので、びっくりするシーンだ。キレやすい学級委員長みたいな印象だったが、感情あったのか、ベアトリーチェ。

 とはいえ、本当の歌劇団ではないのだからキラキラした美女と天使とおじいちゃんを見ていればいいわけでなく、キリスト教の教義問答みたいなものはひとくさりやらねばならぬのである。そのあたりはそれほど真剣に読んでいないのだけど、ひとつ非常に気になる問答があった。

 光る鷲が出てきて言うのである。
 ダンテよ、お前の疑問などまるっとお見通しである。お前は、キリスト教成立前に生まれたせいで洗礼を受けていないだけの人たちまで異教徒の咎で地獄にいるのはおかしいではないか、と考えているね。

 ここは天国篇の中でもぐっとひきつけられるところだ。読んでいてそれはずっと気になってしかないことだからである。なんだもっと早くこの疑問に触れてくれればいいものを。気になって集中できなかったよ、などと思いつつ多少はやる気持ちで答えを読む。
 そうするとまさかの、鷲に叱られるんである。

ああいったいおまえは何者だ。小指の先までしか見えぬ
視力でもって千里の先のものまで裁く気らしいが、
さては判事の座に座ろうというつもりか?

 神の意志はすべて正義なのに、それを浅知恵で判断しようとするのはナニゴトであるか。
 信仰の問題である以上どこかでこんなふうに理屈を手離さなければならない地点に到着するものなのかもしれない、とは思うが、こちらは長い三巻本を真面目に読んできた勤勉な読者である。普通に読んできたら普通に湧く疑問に、自己言及してくれたのでテンションあがったところだ。それをわざわざ言いかけておいて、ごまかすことはないじゃないか。

 だけどこの問答によって『天国篇』はぐっと忘れがたい。
 この疑問は、言及されてなければ「最初から私には理解できない信仰の話なのだな」くらいのことを思って忘れたかもしれない。もしくは納得いく答えでも出してあれば、それはそれでたいへんすっきりして忘れただろう。
 その程度の疑問の余地には当然気付いているけど、答えはありません。とわざわざ言われることのほうがはるかに印象が強い。

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