トンボを救った話
昨日、妻といつもの食材の買い出しに行ってたらね、途中で妻が「トンボが全然いなくなった」って言うんですわ。
おお、そういえば確かに。
1週間前には、よく目を凝らすと無数のトンボが飛んでいたよなあ。
そこには生命の終わりと季節の変化を感じつつも、とくにそれ以上話は膨らむこともなく、スーパーへと向かっていったのさ。
おお、そういえばだ、こんなことが数日前にあったさ。
毎度通っている遠くの方の図書館で、最近お気に入りの場所にある席に座って本を読んでいましたらね、ブバババ、ブバババ、って唐突に前方から聞こえくるではありませんか。
ここは室内。時々、外から窓にぶつかる虫や鳥がいるにはいるが。なぜ室内に何ものかがいるのだ?
羽音の勢いから蜂か?と警戒したあたすは、やや驚きつつも平静を装い(なんせ、隣の椅子には老年の男性がいらっしゃる=人目を気にしてな)、視線を彷徨わせる。
すると、まさに、あたすの目の前にある、何面も連なる大きなガラス窓に、ただ闇雲に出て行かんとする大きなトンボがぶつかっては、跳ね返りを繰り返しているではないか。確かに、玄関ドアぐらいの大きな透明なガラス窓だ。分からんわな。
ブバババ、ブバババ、ブバ、ブババ!
まるで、ヘリコプターのラジコンが、操作不能になってしまったかのよう。知らんけど。
おかしなことだ。なぜなら、ここは密閉された図書館。というより、まだ暑さがある為、冷房が効いている。なので窓はどこも閉まっているはず。
さらにはこの遠くの図書館は、近くの図書館と比べても、大きく、なんと言うか逃げ道はない。いや、大きいのだから、逃げ道がある可能性はあるか。でも、やはり逃げ道はない、と思わせる構造になっている、とさせてくれ。知らんがな。
でも、あたすにはどうすることもできない。できれば逃してやりたいが、どうすることもできない。すまぬ、トンボよ。どうにか、別の道を探すのだ。できれば、あたすのところにブバババ!と向かってはくれるなよ。うわっ!って、さすがに声を上げてしまうかもしれん。恥ずかしいやないか。
そんなことを言ってる場合ではない。よくよく考えてみれば、彼が外へ出る可能性は極めて低いことを察する。
なぜなら私の座っている席は、この大きな四角形になっている図書館でも、最奥の隅っこだ。この階にある唯一の出口は、ひつとだけ。自動ドアなのだ。
誰かが出ていくか、入ってくるかと同時にあそこまで彼が飛んでいく…それはどう考えても無理ゲーだ。
そんなことを思っていると、彼はどこかへと飛んでいったようで、ブバババは聞こえなくなった。
良かった、と思うとすぐに、胸の中でモヤっとする。いや、どうにかできたんじゃね?直ぐにドアを開けてあげるとか、できたんじゃね?それが思いやり、親切ってもんじゃあ、ありませんか?
いやいや、あんた、とはいえ彼はトンボですよ。人ではない、虫だ。昆虫ですよ。
いやいやいや、虫でも昆虫でも、生命であることは変わりませんよ、あなた。
わかった、次もしも、彼がやって来たら、ドアを開けるよ…多分。
あたすはあらためて目の前にある大きなドアを見つめる。構造を把握するため、席から立ち上がり、一歩半ほど前に進み出て、周囲にチラと目をやり、そっとドアのロックを下ろし、司書の人が急にやって来たらどうしようとビビりつつ、開けてみたら開いた。で、直ぐに締める。
あなた、何してるんですか?ってな声が飛んでこようもんなら、あたすは、いや、トンボをね助けようと思ってって、言えるのかしらとも思いながら、また、席に座って、本を読み始めたのさ。
次来たら、絶対に1ミリも迷うな。直ぐに行動を移せ。そう自分に言い聞かせつつ頭の中でシュミレーションするもんだから、読書なんて進みませ、ブバババ!ブバババ!キタキタきたー!これキター!と、あたすは、一瞬、躊躇はしたが直ぐに切り替え、予めのシュミレーションのおかげで、速やかに行動に移した。
ただ、大きなガラス窓は4面ある。彼は不規則にぶつかっては跳ね返るを繰り返している。よくよく見るとかなり大きい。多分、オニヤンマではないか?それでどっちを開けようかと迷ってオロオロしてると、彼はピタリと片側に止まった。
よし、分かった。左側だな。動くなよ。今、開けるから。あたすは彼をビビらせないように、あたすは大きさにビビりながらも、そっと窓ガラスのロックを下ろし、そっと開ける。
でも、彼は微動だにしない。おい、お前はバカか。今、チャンスじゃない、早くそこから下りて、来なさいな。
すると彼はそこから俊速で離れたと思ったら別の窓にぶつかって下に落ちた。あたすの目の前に。
それは一瞬のことだったけど、彼は年老いているように見えた。羽根が少し老いているように見えた。ふと、不思議な気持ちになる。
私は開けている窓の方へ誘導しようと、手で払いのける感じて振るった、と同時に彼は、外へと視認できないくらいの速さで、ブバ!っと音もなく飛んでいったのだった。
ちょっと、善行をした気分になって、チラと隣を見たが、年配の方は本を静かに読んでいた。念のため、私の善なる行いの目撃者はいないかと後ろも振り返ってみたが、誰もおらず。
そっと窓ガラスを閉めてロックし、席に座った。
でも、気分は良かった。いつか、彼がトンボの恩返しなんてことをしてくれるかしら、と思いつつ、私はまた、本を読み始めたのだった。
ブババと羽根を鳴らすトンボの鼓動は鬱を忘れるたくましさ
無謀な行為を繰り返すとんぼのすがたに我想い手をのばす
トンボよお前も歳を取るのだな俺もそうだ そっちはどうだい?
最後まで読んでくれてありがとうございました。
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