びっくりした、自分の投稿が読まれたのよ #life954

毎日noteを書き始めて、2ヶ月経っている。
内容はほとんどクソみたいなものばかりだという自覚はあるけど、続けていることだけは褒めてあげたい。自己肯定大事。

あと、復職のタイミングを具体的に考え始めている。
というかいい加減、どうにかしないと本格的に人としてダメにな…違うな、また自己嫌悪の悪い癖がニョキって出て来た。
ちゃんと仕事ができる状態に戻すためには…違うな、
また生真面目さの、悪いのかどうか分からないけど、考え方の癖が、ひょっこり出て来た。

どうすればいいのか正直のところ、分からない。

いい大人が言うことではないことは分かっているが、本当に分からなくなる。頭が、知能が、思考が、クリアになりつつあるだけに、実は今が一番、キツ…いや違うな、
また、もうひとりの理性的な自分がニヤっ、と出て来た。
クソ忌々しい。

どうすればいいのか正直のところ、分からない。

この約2ヶ月間、これまでの自分なら絶対にやらなかったことを、ひたすらやってきた。

Twitterのアカウントを新たなに作成して、積極的に発信すること。それを毎日続けること。
著名な人に引用クソリプをすること(攻撃する意図はない)。
ファンダムの中に入ってみること。
アイドル的なものに夢中になってみること。
noteを書くこと。それを毎日続けること。
Youtubeの動画にコメントをすること。


自分が思っていることを積極的に外へ発信すること。

つい先日、また新たなことをやってみた。
文化系トークラジオLife、「五十歳。何がめでたい!?~人生100年時代の後半戦をどう生きるか」特集に、投稿すること。

来年で50歳になります。去年、仕事や色々なことが重なって鬱病になり、今もまだ休職中です。仕事の復帰はまだ、具体的には決まりそうで決まらない、そんな日々です。鬱にピークというものがあるのなら、それは過ぎてはいて、まるでモラトリアムのような日々を過ごしています。不思議なことに本を読んだり、音楽を聴くようになりました。まるで20代の頃に戻ったような感覚になることがあります。もう二度と前と同じようには戻れない、と思っています。それが、具体的にどういうことなのかは分かりません。ただ、今、本を読んだり音楽を聴いて楽しめる時間だけは、死守したいと思っています。

私が投稿した

正直本当に読まれるとは思っていなかった。でも読まれるとしたらそんなに多く書いては駄目だな、とできるだけシンプルにして投稿した。どうせだったら読まれたいからね。でも、実際読まれた時は、リアルタイムではなく、5時ごろにYoutubeでソファに寝そべりながら、ぼーっとしながらだったから、最初は分からなかった。
嬉しいというより、どういう風に話が広がるだろうと期待したけどあっさり終わってしまい、すん、となった。
まあ、その後の方の投稿の方が中身濃かったしね。実際、自分の投稿は本当に言いたいことからは少しズレてるな、と聞きながら思ったし、今もあらためて思う。

去年、母を失ったこと。祖父を失ったこと。妻を含めた家族間の根深い問題のこと。仕事で起こった色々な人間関係こと。子供がいないこと。何も根ざすものがないこと。居場所がないこと。収入が少ないこと。自分に
学がないこと。カルチャーとの向き合いかたのこと。自分が信じて来たものが音を立てて崩れていく感覚になること。

仕事に絶望してきた4年間だったこと。
何も楽しめなくなって、サッカーゲームとサッカーだけに逃避していたこと。

どうすればいいのか正直のところ、分からない、こと。

その後も暫く観ていたがだんだん疲れてきて、一旦止めた。時間が長いこともあったし、子育ての話に展開していったあたりでいった辺りで、少し、しんどくなった。

ああ、ここも私には居場所がないなあ、とふと思う。

番組自体は面白いし、後日観ようとは思っている。

気持ちを切り替えて、Twitterをなんとなく「フォロー中」「おすすめ」を見たり、つぶやいたりしていたら、あるツイートに目が止まる。

ああ、まさに。これなんだな、私は。

Twitterも、このnoteもそれを求めているんだ、究極的には。
きっかけも、始めようと思った熱量も、また違うものだったけど、やってる内に「繋がり」を求めていたんだな、私は。

それを今朝、はっきりと、くっきりと認識させられた。

そんなことを書いていたら、今、正に公式からイイね!とRTをされた。
ふふふ、こういうことがあるから、面白い。

あと、隣ではリヴァプールの試合を、妻が2度目の観戦しながら、おもむろに非常用ヘルメットをかぶり始めた。試しに被っているのだろう。
なぜ、このタイミング?ふと横目に見てるとドヤ顔でこちらに顔を向ける。
ふふふ、こういうことがあるから、面白い。

この人がいて良かった、とつくづく思う。
自分の人生にもう未練はない。しょーもない人生だったけど、これから可能性も何もない人生だけど。
誰にも誇れるものがない人生だったけど、そんなに悪くもなかったかな。

彼女がいてくれて、それだけでもしあわせだと思えるようになった。
それは鬱になったからこそ、かもしれない。

これからも続くクソみたいな私の人生。
それでも何か、ちょっとしたご褒美のようなことはあるのかもしれない。

あとは、少しでも彼女が笑っていられるような、そんな残りの時間を過ごせれば、それでいいのかもしれない。

しあわせの重みを嚙みしめる。

ところでさ、今朝結婚してから、初めて洗濯物を2人で一緒に「干した」んだけど、あれは一緒にやるものじゃないよね。
これまで通り、分業制でやるべきだね。
ふふふ、こういうことがあるから、面白いな。


最後まで読んでくれてありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?