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ひでじのこと

ひでじの様子がちょっとおかしいな? と最初に気づいたのは、たしか10月の初め頃だったと思う。うちの猫たちは外から帰って来ると「ただいまー」って挨拶をする。僕はそれに応えて「どこ行って来た?」「何して遊んできた?」って尋ねながら身体を撫で回してあげる。
ひでじが帰って来たときの「ただいまー」って声が妙に大きい声だな、と思ったのが始まりだった。庭で会ったときも猫たちは挨拶をしながら寄ってくる。そんなときもひでじは叫ぶといっていいほどの大声で僕に何かを訴えていた。もともと身体が大きいから喧嘩の時などは声も大きいのだが、普段のひでじはとても控えめでかわいい声なのに。

そんなことがしばらく続く中で僕が考えたのは、人間でも歳をとると声の抑制が効かなくなって大声で喋るジジイがいるように、ひでじも加齢のせいで声が大きくなったのかなってことで、「はいはい、そんな大声を出さなくてもちゃんと聴こえてるからね」と答えていた。
そして10月の中頃からひでじは家の外で過ごすことが多くなった。今年の秋は暖かかった、というより暑かったからデッキや庭にいるほうが気持ちよかったのかも知れないが、うちの猫たちは1年を通して夜眠る時だけは家の中で眠る。国東の野山で育った彼らはその方が安全だと分かっているんだろう。だけどひでじは夜の間も帰って来なくなった。それでも僕が心配しなかったのは、いつも3匹一緒にいるくつしたとしましま兄妹も帰って来なかったから。3匹で外にいるなら外のほうが気持ちいいからだろうと思ってた。

ところが月が替わって11月になるとひでじはくつしたやしましとも別行動するようになり、一日のほとんどをデッキの手すりの上で過ごしていた。夜は家の中に入って来るものの、吹き抜けの梁の上に上がったきりそこで微動だにしない。一晩中梁の上にいてそこで眠る。だけど寝ぼけて下の床まで落ちたことが2回あった。
11月の半ば頃からはデッキの手すりをやめて一日中屋根の上へ。もしかするとかつてのとらじみたいな流れ者の野良がいて、そいつを警戒して見張っているのかなとも思ったけれど、喧嘩の声は一度も聞いたことがないし、とらじの時とは明らかに何かが違う。屋根の上のひでじは呼ぶと返事をするものの降りてはこない。1日2回のごはんだけはきちんと食べに帰って来るけれど、食べ終わると「俺行かなきゃ」と、何か使命感に突き動かされたみたいに思いつめた表情で飛び出していく。

この頃になると僕もさすがに何かがおかしいと思うようになり、薄々心配していた認知症を疑うようになった。だって僕にはひでじの不審な行動の理由がまったく思い当たらなかったから。12歳の猫では2~3割が認知症の症状を示しているという調査結果もあるらしい。
猫というのは各自が決まったルーティーンを持っていて、よほど健康状態が悪い時以外は毎日毎日飽くことなくそれを繰り返している。遊びに出かける時間も帰って来る時間も、休んだり昼寝をしたりする場所もトイレをする場所もちゃんと各自で決まっている。ところがこの2か月間のひでじはそれまでのルーティーンと全く違う生活パターンになっていたし、そのパターンも週ごとに変わっていた。そしてこの頃には遠目に見て分かるほど痩せて来ていた。

11月の12日。2階の部屋の窓から屋根にいたひでじにいつものように「入っておいで」と声をかけた。すると珍しくその時は開けた窓から家に入ってきた。それでもどこか上の空みたいな挙動は変わらず、吹き抜けの梁の上へ直行してしまう。僕はひでじの目線と高さが同じになるよう階段に腰掛けて話しかけ続けた。
「どうしたんだ?」「この頃ちょっとおかしいよ」
20分近くそうしているとひでじはそろそろと梁の上を歩いて僕の膝へ乗ってきた。ひでじの身体に触れるのはひと月かふた月ぶりだったかも知れない。肩甲骨や腰の辺りがびっくりするくらい痩せていた。それから1時間近く膝の上のひでじを撫でながらいろいろと話しかけ続けた。ひでじはおとなしく膝の上で僕の言葉を聴いていたけれど、そのうち身体を預けて眠ってしまった。
その日を境にひでじは屋根で過ごすことはなくなった。

あれから10日余り。なんとなく認知症に対する一抹の不安は残るものの、ひでじは元の生活を取り戻しつつある。感情を制御できないような大声で鳴くこともなくなったし、心ここに在らずといった思いつめた表情も消えた。身体もふっくらして腰回りも丸くなってきた。寒いせいもあるだろうが夜はちゃんと家の中で寝るし、疎遠にしていたくつしたやしましまともまた一緒にいるようになった。いったいこのひと月半はなんだったのだろうと僕は考えた。「元に戻ってああ良かった」だけで済ましたらいかんのだよ。ちゃんと原因を突き止めなきゃまた同じことが起こるかも知れないんだから。

昨日のひでじ一家

いろいろ考えてみて1つ思い当たったのは、9月頃にとらじが野良と喧嘩をしてきて、怪我はなかったものの一週間ほどしょんぼりモードになったことがあった。とらじは心身の調子が落ちると必ずと言っていいほど影響が眼に出る。瞼の炎症が始まり腫れて目やにが出始める。とらじの体調不良は久しぶりだったので僕はとらじに付きっきりだった。もしかするとその間にひでじに対して邪険な扱いをしたのかも知れない。ひでじの変化に理由があるとしたらそれしか思いつかなかった。

7兄妹の中でひでじ、ちー、とらじの3匹はとても賢い。で、賢い子からの要求に対しては対応が後回しになることが間々ある。何故かというと彼らに何か問題が起きても賢さゆえに自分で解決できるから。僕はそういう自分の経験から無意識にひでじへの対応を後回しにしたんじゃないか? 僕に対してひでじが何か特別な要求をしたときに、それを無碍にしたことがあったんじゃないか? と思った。もしかすると「自分は愛されていない」という不安や失望が彼の中に生まれたんじゃないか? それ以外にひでじの行動を説明できる理由が見つからなかった。

僕はもう40年以上猫と暮らしてきたがこんな経験は初めてのことだ。そしてそれは単純に「数」の問題でしかないと思う。順子がいてくれた頃は人間一人が3.5匹分の愛と時間を割けばよかった。それが今はひとりで7匹。7匹に7等分の愛をと口で言うのは容易い。仮に僕がきちんと7等分していても、それを受ける猫たちにとっては7分の1じゃ足りないこともあるだろう。そんなとき賢い子が後回しになってしまうのは人間の兄妹で「お兄ちゃんなんだからがまんしなさい」と親に言われるの似ている。お兄ちゃんだから、お姉ちゃんだから、そんなのは親の都合や事情であって子供には関係ないことじゃないか。
と、僕は心に戒めた。そうだよ。7匹には7等分の愛で接しなくちゃいけないんだ。それでも彼らが足りないと感じた時は、自分の時間を削っても猫たちに時間と愛を分けなくちゃいけないんだ。それができなきゃ猫と暮らす資格なんてないやんか。ひでじ、ごめんね。

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