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ひとりで暮らす

うちの庭にミツカドネギ(三角葱)/ アリウム・トリクエトルムというのが大繁殖して、この一週間ほどスコップを手に抜きまくっている。大増殖する植物に共通で地下茎で増えるから結構深く掘り起こすんで中々の労働になっております。
昨年はこんなになかったのに! と思い込んでいたんだが、ふとホントにそうなのか? と思って過去の写真を確かめてみた。そしたらなんのことはない4年前くらいから増え始めて、昨年なんか今年と同じくらい生えてるやんか。僕の記憶のいい加減さよ。

ミツカドネギ / アリウム・トリクエトルム

そこで僕は考えてみた。なぜ昨年も咲き広がっていた三角葱をなんとも思わなかったのかを。人は関心のないものを認知しない。目で見てはいても頭では見ていないから記憶に残らない。僕はこの可愛い白い花をつける植物を鈴蘭水仙 / スノーフレークだとばかり思っていた。だからきっと気にならなかったのだと思う。
先週ご近所のご夫婦がやって来て庭で細やかなお花見をした。その席で奥さんが「この白い花はなんていう花?」と尋ねたから僕は鈴蘭水仙だと答えた。「へー、そういう名前なんだ。可愛いけどなんだかネギみたいな匂いがするわね」と言われて足元に目を凝らした。あれ、これ似てるけど鈴蘭水仙じゃないやん。葉っぱを指でちぎってみると確かにネギの匂いがする。なんじゃこりゃ?

こっちが鈴蘭水仙 / スノーフレーク

と思ってお花見が終わってから調べてみると件の三角葱だと判明した。抜かないと凄まじい勢いで増殖するとある。あー、えらいことになってしもた。それで焦って連日のネギ抜きとなったんだが、数年前の庭の写真を見て焦りが急速に消えた。冷静を取り戻したといってもいい。この花が写真に写り始めたのは4年前。すさまじい勢いで増えるといっても4年でこの程度の増え方に過ぎないやん。だったらそんなに焦って抜かなくてもいいじゃないかと気づいた。

僕は1人の生活になってからこういう早とちりというか取り乱しが多い。彼女がいた頃は情報の入力に対する対処の出力がもっと慎重だった。慎重といわないまでも一旦立ち止まり、目の前の状況を客観的に吟味するのが常だったように思う。僕は壊れてきたのだろうか? 論理的な状況判断が出来なくなってしまったんだろうか?
急がば回れ。急いては事を仕損じる。果報は寝て待て。慌てる乞食は貰いが少ない。僕はいつも誰かにそう言っていたじゃないか。この三角葱事件は僕にとってよい警鐘になった気がする。

昨日今日と雨が降って庭のネギ抜きもできない。春の雨が僕の頭を冷やしたのかも知れない。今は亡き彼女が遺した庭を荒廃させてはならないという思いに取り憑かれて、僕は日々伸びて来る雑草に焦りと恐怖を感じていた。なんとかしなきゃ、なんとかしなきゃ。その焦りに悶々としていた。でもこの数日いくらかの冷静さを取り戻して考えたことは、ありのままを残すのは諦めて、彼女が一番愛した桜の木とクリスマスローズだけ守っていけばいいかな? ということ。

常に1人であることを意識して暮らさなきゃな。そして急いては事を仕損じると肝に銘じる。自分を煽るのも止めるのも自分自身しかいないのだから。

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