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縁みたいなもの

一昨日の5月12日で僕は東京を離れて13年が過ぎた。それでこの伊豆の家に住むことになった「縁」みたいなものについて考えていたのだけれど、昔ブログに書いた記事のことを想い出したので時系列をリライトしてみました。

今から22年前の2002年。僕は東京の大森に住んでいてホンダのシティという車に乗っていた。当時でさえ相当に型遅れの大古車だったけれど、走行距離が少なくて程度のいいタマだった。惜しむらくは屋根の塗装が見るも無残にハゲている事で、それ故にほとんど捨て値で売りに出されていたのを僕が買ったのです。
同じ大森でも駅に近い家へ引っ越すことになり、あまりの駐車場の高額さに車を手放す決心をしたんだけれど、そもそも捨て値で買った車だから値段なんか付かない。でも屋根のハゲ塗装さえ気にしなければとても機関良好な足車だから、ネットの掲示板に「誰か要りませんか?」と書き込んでみた。要りますと手を挙げたのは静岡県伊東市の人。自動車関係の仕事をしているから修理は自分で出来る。家内の足車にするんで持って来てくれるなら往復の交通費は出しますよ、と言われてドライブがてら伊東まで走った。

伊東の道の駅で待ち合わせ、その人の車の後について市街を抜け、山道をくねくね走って彼のマンションへ辿り着いた。建って間もないまだ内装材の匂いがするマンションの一階にあった小さな店舗スペースを事務所にして、その人は英車やイタ車の個人輸入を仕事にしていた。「ステーキ食いに行きいませんか?」と誘われて近くのカウボーイズという店に連れていかれ、帰りは伊東駅まで送ってもらって新幹線代まで渡された。イイ人だったなあ。

それから12年が経った2014年の5月。理由があって東京から移り住んだ国
東を離れるため、新たな移住先を探していた僕と順子は今の家を見るために往復10万円以上の飛行機代をかけて大分から伊豆の伊東までやって来た。その日は東京を離れてから3年目の5月12日だった。
当時この家に住んでいたのは東京の三鷹から移り住んだ年配のご夫婦と娘さん。どうも泣く泣くこの家を手放してもっと市街の中心地へ引っ越す事にしたのだとその時直接話を聞いた。娘さんに障害があって、そのケアとご自分たちの年齢や体力を考えて苦渋の選択だったそう。奥さんの方は本当に家を明け渡すのが辛そうに見えた。で、結局僕たちがこの家を買う事になり、引き渡しは3か月後の2014年8月末と決まった。

8月最後の銀行営業日に僕たち夫婦は再び上京し、銀行の応接室で行政書士を交えて決済と権利譲渡を行なった。全部の手続きが終わって部屋を出る時、僕は先住のご夫婦に新しい住所と電話番号を教えてもらった。住み始めてから分からない事があった時に尋ねようと思ったからだ。年配のご夫婦が娘さんと移り住んだのは伊東市に近い川奈という町にあるマンション。僕は国東に戻ってからなんとはなしにGoogleマップで検索してみた。

あれ? なんか見覚えがある。
周囲の風景をストリートビューで見てみると「カウボーイ」っていうあのステーキ屋も近くにある。ええ? これってひょっとして。と思って古い古いメールのログを漁り返す。2002年に車を譲った人とのメールを探してみたら残ってた。先住ご夫婦の新しい住所はこの家を買った12年前にオンボロ車を運んだあのマンション。しかも僕が車を持って行ったのは2002年の5月12日だった。もし人の生涯に「縁」みたいなものがあるのなら、こういうことを指すのだろうなと思う。

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