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四十年前の町へ

何日か前にパンを焼いた。

焼いたといっても僕は材料をホームベーカリーに放り込んでスイッチを押しただけ。だから焼いたのは僕ではなく機械だ。2年前の小麦粉。2年前のドライイースト。2年前のケーキマーガリン。そして2年前の砂糖と塩。さすがに牛乳だけは2年前ではなく最近買ったものを使った。
焼きあがったパンはパンの体を成していなかった。まったく膨らまずに鏡餅みたいな形のパンになった。やっぱりそれだけ古い材料を使ったらそうなるよな。そんなの初めから分かっていたことだ。食べてみたけれどパンというよりはスイトンに近い食感だった。焼けば食えるかな? と思って1センチくらいの厚さにスライスしてトースターで焼いてみたけど、ラスクといえば聞こえはいいが目を閉じて食わされたらなんだか分からないようなものだった。

僕はその出来損ないの焦げたパンと牛乳を持って庭の隅にぼんやりと座っていた。あれだけ空いっぱいに飛んでいたトンボもいつか姿を消し、セミの声はツクツクボウシだけになっていた。桜の足元に咲いたヒガンバナを見ながら、その球根を掘り出してきた国東をことを考えていた。
そしてふと、順子が大学生の頃にパン屋でバイトしていたのを思い出した。昭和30年代に入植した開拓農家の娘は1日3食米ばかりを食べ、パンなどほとんど食べたことがなかったそうだ。大学へ入った年に開店したパン屋でバイトをして、そこの食パンの味に衝撃を受けたと何度も何度も聞かされた。

僕と結婚してから一度だけ彼女の怪しげな道案内で、筑波学園都市にあるそのパン屋へ行ったことがある。彼女は店主に会いたがっていたけれどその日は会えず、僕らは食パンと他にいくつかのパンを買ってから筑波山へ行き、それからもてぎのホンダ・ミュージアムへ寄って東京の家へ帰った。
僕は庭の隅でスイトンみたいなパンを齧りながら、あの日のことを思い出そうとしていた。でもパン屋が筑波のどこにあったのか、なんていう屋号だったのかさえさっぱり思い出すことが出来ない。Googleマップで彼女の通っていた大学の周辺数キロを表示させ、そこにあるパン屋を検索してみたが屋号も店構えも思い当たらなかった。

そこで彼女の大学時代の友人にメールで尋ねた。「順子がバイトしていたパン屋を覚えていませんか?」と。ご友人は自分の朧げな記憶を頼りに同期の学友にも聞いてくれたらしく、翌日には「洞峰公園横のドイツパンのお店で店名はモルゲン」だと返事が帰って来た。
Googleのストリートビューで確かめてみたけれど僕の記憶とは場所も外観も全然違う。だけどご友人たちも店構えが違うと言っているようなので改装したのかも知れなかった。パン屋の外壁にはSINCE1983と飾り文字が張り付けてあるから間違いない。順子が大学に入ったのは1983年だったから。

ネットで検索してみると今年の7月に創業40周年を迎え、つくばでは老舗の有名なパン屋さんだった。40年、老舗という言葉が過ぎて行った長い長い年月を思わせた。ただ理由は不明だけど8月から休業しているようで、僕も電話してみたけれど繋がらなかった。
パン屋さんの隣には同じ店構えで店主さんのご兄弟がやっているケーキ屋さんがあって、そこは今も普通に営業している。順子は週末のバイトの帰りにはそこのケーキを貰えるので嬉しかったと話してくれたことがある。

パン屋の名前を調べてくれた順子のご親友は、パン屋と掛け持ちでバイトしていたデニーズの制服を着た順子の写真を送って来てくれた。そこには大分の田舎から出てきたばかりの、未だ垢抜けない19歳の少女が笑っていた。それこそ希望を胸いっぱいに詰め込んで、あの国東の山からやって来たんだろうなと思った。
パン屋さんは営業再開するのかな? それを待たずにケーキだけでも買いに行って来ようかな。そしてつくばへ行ったらどこかの安宿に一泊して、19才の無垢な彼女が毎日歩いた道や、彼女がバイトしていたデニーズや、彼女が4年間暮らした町を歩いてこようかと思っている。

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