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希望という名の

6月になると思い出すことがある。
いまから9年前の6月に僕は36年間嗜んだ煙草をやめた。なぜやめたかというと、東京から移り住んだ国東での暮らしを終わりにしてまた東日本へ戻ることが決まったから。といってもなんのことやら分からないだろうなあ。

2011年の5月に僕と順子は東京の家を引き払い、彼女の故郷である大分県の国東へ移り住んだ。彼女と出会った当初から、いつかは都会暮らしをやめて国東へ移住しようと思っていたのが20年を経て実現したのだった。
取り敢えずは2世帯住宅の造りになっていた彼女の実家に仮住まいしながら、どこか良い土地を見つけてへ家を建てるつもりでいた。移住前、移住後の心境や暮らしについては同時進行でずっとブログに綴り続けていた。けれど1つだけ書かなかったことがある。それは実家にいた順子の実兄、つまり義兄とその息子のことだった。この親子の無責任で、軽薄で、薄情で、だらしなさ極まる性格と暮らしぶりに僕ら夫婦は呆れた。呆れるだけならいいが、毎日の様々な場面で僕と順子は義兄の尻拭いやとばっちりに悩まされた。

2世帯住宅とはいっても所詮は同じ屋根の下。僕のストレスは日毎に溜まり3年目の春にとうとう限界を超えてしまった(笑) それは順子も同じで、ともかく僕たちは彼女の実家を出て、狂気の義兄親子とは別に暮らさなければどうにかなってしまいそうだった。
家を建てる土地の候補はいくつかあったが工務店に丸投げするのではなく、出来ることは自分でもやろうと思っていたから、ともかく家を建てるまで仮の住まいを見つけなければならない。そこで僕らはそのための家を探し始めた。最初は国東市内で。けれどなかなか良い物件が見つからず、隣市からだんだんと範囲を広げて別府や大分市内まで候補に入れて探した。そんなこんなで2か月くらい経った頃、僕と順子が家を探していることと、その理由を知った義母が僕ら2人を前にしてこう言った。

「もし○○(義兄)の素行に耐えかねてこの家を出るのなら国東や別府なんかには住まず、もっともっと遠い所へ行きなさい。あたしはもうこの歳だし、あれは自分の息子と孫だからこの先何があっても我慢するつもりでいる。だけどあんたたちがここにいたら、あの○○親子が今後どれだけ迷惑かけるか分からない。だから遠くへ引っ越して連絡先も教えずにいなさい。せっかく帰って来てくれてあたしは嬉しかったけど、あんたらの為にはここを逃げ出した方がいい」
自分の息子と孫に対してここまで言うのは、育て方を間違ったという後悔と謝罪もあったのだと僕は思った。そうして大分県に骨を埋めようと思っていた僕と彼女は東日本へ戻ることを決めた。

僕たち夫婦の間にはなんとなく僕の方が先に死ぬだろうという暗黙の了解があり、それも僕が国東を生涯の最後に住む土地に決めていた理由だった。僕が死んだ後も国東ならば彼女は古くからの友人や知人と共に暮らしていける。けれどたいした身寄りも友だちもいない東日本で僕が先に死んだら、彼女は文字通りのひとりぼっちだ。煙草をやめることで少しでも寿命が延びるならせめて1日でも、いいや半日でも長生きして、彼女のそばにいようと思ったのが煙草をやめるきっかけだった。そして僕は引っ越し先の決まった2014年の6月で煙草をやめ、あれから9年間1本も吸っていない。それなのにたった7年間住んだだけで彼女は僕より先に空の星になってしまった。

僕はときどき、また煙草を嗜もうかなと思うことがある。煙草を「やめた」というのは実は正しくない。正確に言えばたまたま「やめている」だけであって「やめた」のではない。たとえば覚醒剤やヘロインや、もっと言えば酒やダイエットみたいなものも、僕のように自堕落な人間にとったら死ぬまで終わりはないんだと思う。
今でも僕はコンビニの入り口近くで誰かが吸っている煙草の匂いを良い香りだと思う。蜂蜜をブレンドした紙巻きに火をつけて、フーっと吸い込んだあの至福感には今も魅かれ続けている。独りぼっちになってしまったこの家で、庭の片隅やデッキの椅子に座りながら、もう誰にも迷惑をかけることもない。家が汚れたって誰も悲しまない。だからもう一度紙巻を嗜もうかなと何度も何度も思った。でもそうしなかったのはあまりにも煙草が高価になってしまったからだ。

今の僕は仕事をしていない。これからもする気はない。何故なら僕にはもう仕事をする意味が分からなくなってしまったから。貯金の残高と猫たちの寿命を天秤で測りながら、僕は彼女と2人で貯えた貯金を切り崩して暮らしている。このことについてはまた別に書こうと思う。
だから7つの子らがみんな空へ帰ったとき、僕の銀行口座にまだ幾許かのお金が残っていたらその時は煙草を買って来ようと思う。何十年も愛し続けたあの煙草を。そしてあの日まで使っていたZippoとサントリーの灰皿を出して来て、太くて短い紙巻に火をつけ、蜂蜜の甘い煙を全身に染み渡らせたいと思う。僕の人生の最後に。

僕が何十年もの間嗜んだその紙巻の名は「希望」というんだ。
皮肉なことに。

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