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清く倹しく美しく

家に設えた何十万円もする薪ストーブが自慢の夫婦がいる。都会からやって来て田舎暮らしを演出するには、何はなくとも薪ストーブなんだそうな。その家に招待されると、パチパチと燃える火の前で誰もが延々と薪ストーブに関する蘊蓄を聞かされる。そういえば僕も一度うんざりするほど聞かされたっけ。確かに薪ストーブは暖かい。そりゃ暖かいよ、家の中でばんばん火を焚くんだから。

でも薪は買うととても高価なのでひと冬運用するには莫大な経費が掛かる。そもそも薪ストーブなんてのは電気もガスも燃料もろくにない時代か土地で、そこいらの山から切り出す丸太を燃やして暖を取ったりお湯を沸かしたりしたものだから、薪を「買う」なんてのは本末転倒なことだと僕は思う。よく言われることだけれど薪ストーブを導入すると、それこそ一年中朝から晩まで薪の入手に頭を占領されることになるらしい。
だからどこかの家で庭の木を切ったと聞きつけるとその夫婦は飛んできて、「ほらほら切った木が邪魔でしょう? うちが無償で引き取りますよ」と言って持って行く。いったいどうやって聞きつけるのか、それとも日々巡回して木を切っている家を探しているのか。ともかく聞き耳の速さと持ち帰る時の積み込みの速さは呆れてしまうと評判になっている。

それで、いつしかその夫婦は近隣の人たちの間で嘲笑を込めて「薪乞食」と呼ばれるようになった。うちが樹高20m以上あったクスノキを切った時もどこで知ったのか切り終わる前からやって来て、さも今さっきここを通りかかったような顔で「引き取りましょうか?」と言って来た。
僕が「業者さんが薪として販売するらしいので譲れません」と答えると、なんとも恨めしそうな顔で輪切りにされた木を見つめていた。僕はあの時の夫婦の表情に醜さとか、浅ましさとか、卑しさとか、そんな嫌な言葉ばかりを思い出していた。

なぜその夫婦のことを思い出したかというと、昨夜ネットで「玩物喪志」という言葉を見かけたから。僕はこの歳まで誰かの手本になったり、誰かに誇れるような生き方はして来なかったけれど、誰かに侮蔑を込めて嘲笑われるようなこともなかったと信じたい。そして残りの短い人生もそうでありたいと願っている。
清く倹しく美しく。精進精進。

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