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廃別荘の崩れた物置の中で

とらじは先週の土曜日に折れてしまっていた下の犬歯2本を抜歯した。歯というのは表面を固いエナメル質に覆われているけれど、ポキッと折れたら中の象牙質や歯髄が露わになってしまう。たぶん外暮らしの間の喧嘩で折れたんだろうが、レントゲンで見ると神経の部分が腐ってしまい、そこから歯根にかけて深く慢性的な炎症を起こして下顎の骨にまで影響が出ていた。うちで保護した時から時折口臭がひどかったのもそのせいだったんだな。

手術当日の土曜と翌日曜日は入院になり、月曜日の夕方になってようやく退院できた。根本だけ残った犬歯を歯茎の中から掘り起こしたわけだから、歯肉を派手に縫合した痕が痛々しい。口の両端から黒い手術糸の結び目が飛び出ている状態だった。
ただ見た目の痛々しの割には元気で、家へ帰った当初からごはんだけはよく食べた。食事の1時間前にシリンジで口の中へ流し込む粘膜保護剤は嫌がって滴下できず、10日分処方された薬をペーストにした缶詰に混ぜるのだが見向きもしない。う-ん、でも普通にごはんを食べるならそれでいいじゃんかと思い、無理な投薬は諦めてとにかくお腹いっぱい食べさせることに専念した。

そのせいか手術から5日経って身体もふっくら丸くなって来たし、体に染みついていた強烈な消毒薬の匂いも消えた。口の端から飛び出していた手術糸はいつの間にか溶けてしまい、気の毒なほど腫れていた下顎もすっかり元通りになった。
食べれば治る。
もちろんすべての病が治るわけではないけれど、投薬のストレスをなくして好きなだけ食べさせ、自分の治癒能力に委ねるのは間違った方法ではないと僕は思う。それを誰かに勧めたりはしないけれど、歴代我が家で暮らした猫たちは皆そうして元気を取り戻してきた。
明日か明後日、術後の経過を診せに病院へ行けば通院はもうお終いだと思う。僕的にはもうこのまま行かなくても大丈夫だと思うんだが、一応先生にお墨付きをもらっておくべきだよな、ってことで。

何度もツイートしているけれど、とらじが我が家の近くに現れてから3年を経てうちの子になった経緯を思うと、やっぱりこの子は僕にとって特別な子だという気がする。もちろん七匹の子は等しく愛しいのだけど、僕はとらじを見るとき、いつもその向こうに彼女の顔を思い浮かべるから。とらじは紛うことなき彼女の忘れ形見なんだ。
僕のフォロワーさんの中にも、とらじと同じ毛色の猫さんと暮らしている人が何人もいる。その猫たちは皆きれいで、傷ひとつない顔をしている。もし僕がもっと早く手を差し伸べていれば、とらじの顔の傷も無かったかも知れない。あったとしても今のようにあちこちに残るほどの傷ではなかったかもしれない。
とくに右目の下から口元にかけて残る深い傷を見るたび僕は心が痛む。こんなひどい傷を負ったとき、とらじは廃別荘の崩れた物置の中で独りぼっちだったはずだ。病院へ連れて行ってくれる人も居らず、その日のごはんも自分で探さなきゃならない。痛かったろうな、つらかったろうな、さみしかったろうなと。

だから僕はもう二度とこの子に、痛い思い、つらい思い、寂しい思い、怖い思い、ひもじい思いをさせたくない。病気も怪我も全部代わってやりたい。いいやとらじだけじゃなく七つの子たち全員に対してそう思う。一昨年の秋、一番大切なものを失くしてしまった僕にとって、今一番大切なのはこの子らだから。僕はそのために生きているのだから。

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