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震災の日、広告代理店で働いていた。

6年前の今日、ぼくは広告代理店の2年目で、ちょうどアートディレクター的な仕事をし始めた頃でした。

広告業界では世の中にとって良い行いをする事が結果的に広告になるという、いわゆる「ソーシャルグッド」が注目され始める前夜だったと記憶しています。

まだ「ソーシャルグッド」の様に気が利いた言葉に言語化されてはいませんでしたが、ぼくはずっと自分のアイデアが世界を良くできると信じていました。

震災があった日、自分の出来る事の少なさに愕然としました。それまで、コンビニで募金箱を見るたびに「小銭を募金するくらいなら、自分は世界を良くするアイデアを考えてやる」と本気で思っていました。あの日から、ぼくは募金箱を見る度にじわりと無力感を思い出す様になりました。何でもできると思っていた自分が、何もできないと痛感した年でした。

広告業界には、そんなアイデアの力を信じている人達が大勢いました。それとは裏腹に、日本中の広告は次々と取り下げられ自粛ムードに包まれました。広告業界にとって自粛は、絶望そのものです。事実として、震災を機に退職してゆく先輩も居ました。

ちょうど納品を控えていた夏に掲出予定のポスターに、波が描かれていました。波が人物を包み込む様なデザインでした。ぼくに出来る事は、そのデザインを差し替える作業だけ。こんな事しかできないのか、こんな事をしてていいのか、そう思いながらした修正作業はとても時間がかかりました。

自分が有名なクリエイターだったなら何か出できたのか。大金持ちだったら何かできたのか。そんな事を考え始めると眠れなくなり、ぼくがおかしくなる直前に上司から「震災の事を考えるのを、控えなさい」とメールが来ました。

いま思い返せば、ぼくがすべき仕事は本当に波のデザインを差し替える事だけだったのかも知れません。具体性の無い使命感に潰されそうになるくらいなら。

しかし一方で、そのクリエイターが抱く使命感を無くしてはいけないとも思います。当時は思えなかったけど、絶望したけど、今は思います。

いま描いている漫画「左ききのエレン」は広告代理店のクリエイターの話です。良い面も悪い面も描いてます。その中で今後、震災の事も描く予定です。日本に住む全ての人がそうだった様に、広告代理店のクリエイターも「震災以降」として活動しています。

あの日、ぼくはどう向き合うべきだったのか。その事をちゃんと漫画にしたいと思います。

「私たちに出来る事は少なかった。でも、微力であっても無力では無い」

そういった台詞を、6年経った今考えています。

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