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「アイとアイザワ」第31話(最終回)

パラパラとページをめくる。1ページにつき1秒にも満たない速度で。ページの端が弧を描き右手の親指に受け取られると、間も無く次のページが左手の親指を離れる。それはメトロノームの様に一定、かつ極めて早い速度で繰り返される。

「はぁ…やっぱり最高だわ。藍沢正太郎の6年ぶりの新刊…。藍沢節、全開って感じで。」

神保町の古本屋は全て回ってしまった。次の入荷まで、もう見るべき書店は無い。愛は、小説はもちろん漫画もビジネス書も、文字で書かれた創作物なら全て読み尽くしたいと思っている。

「花?」

古本屋の奥に見慣れた後ろ姿があった。周防花。彼女と一緒に、ここに来たのだろうか。記憶が曖昧で思い出せない。

「花が本屋に来るって珍しくない?あれ…私が付き合わせちゃった?花だったら何が好みかなぁ…。やっぱり恋愛小説とか?」

「本なんて読んで何になる?私が知らない事なんて、この世界に無い。」

「え?はは…何言ってんの?なんか変だよ…?花。」

「…君も退屈しているね。明石家アイ。私と同じく、退屈で退屈で身が引き裂かれそうな顔をしている。」

「…そうかな。確かに退屈かも。本はすぐ読み終わってしまうし、一度読んだ本は忘れない。だから、新しい本が発売されるまで待たなきゃいけない。タイムマシンがあれば未来からごっそり本を取り寄せるんだけどね。」

「であれば、永遠の命を手に入れた人間も、同じ事に苦しむのかも知れないね。無限の時間を生きるのには、世界中の本はあまりにも少ない。いや…永遠の命があるのなら、永遠に作品を作り続ける人間もいるのか。それなら、本に困る事も無いな。」

「…それはどうかなぁ。」

「何?」

「永遠の命があったら、人は創作しない気がするよ。」

花の姿をした何かが、ゆっくりとアイの顔を見た。

「いつか死んじゃうから、何か残したいんだよ。文章でも、絵でも、音楽でも。自分の代わりに、自分が生きた証を残したい。私はたくさんの本を読んだ。もう亡くなってしまった人の作品も。でも、その本を読んで私の中に生まれる感情は、今初めてそこに生まれた感情で、それは二度と失われない。」

「死から逃れられない内は、全ての生命体はDNAを運ぶ乗り物に過ぎない。借り物だ。人が神と呼んでいる何かから、僅かな時間借りているもの。しかし創作物は、感情を運ぶ乗り物という事か…。そして、感情は有限の命にしか宿らないという事か…。

いつか必ず失われるもの。いつまでも残り続けるもの。まさしく人間の抱える矛盾そのものだ。完璧な存在とは程遠い、不完全な存在。」

「はは…どうだろうね。その辺は私には分からないや。てか、花ってたまに変な事言うよね。面白いけど。」

「感情のために、創作のために、人間には死が必要なのか。」

「ねぇ花。私、初めて好きな人ができたんだ。私と同じくらい本を読んでいる人でさ、いくらでも本の話ができるんだよ。同じものを見ているから、同じ感情を共有できる。私は、ずっとそういう人が現れるのを待っていたのかも。同じ言葉を話す…同類って感じかな。あのね、その人が私のために小説を書いてくれるって約束してくれたんだ。楽しみだなぁ。」

アイは視線を上げる。そこには、もう花の姿は無かった。誰もいない古本屋。暖かいものが、頬を流れた。

「あれ…誰だっけ?私が好きな人…。顔が思い出せない…。名前も…。さっきまで一緒に居たはずなのに…。」

10年後。神保町の本屋にて。

「モーリス、わざわざ日本に取材に来て会えなかったらどうするのよ!?アポなんて取ってないんでしょ?」

ニューヨークのローカル誌コンテンツ・スプリングの記者モーリスは、同僚のエイミーと新刊の発売イベントに来ていた。決して大きく無い本屋に大勢のファンや記者達が押し寄せている。最近、こういう本屋も姿を消しつつある。紙の本を取り扱っている数少ない本屋だ。

「大丈夫だよ。オレとあいつは古い付き合いなんだ。…オレの事は覚えてなくても、オレの顔を見りゃ反応してくれる…多分。」

記者会見が始まる。まずは書店員による挨拶。モーリスは、その書店員を知って居る。源氏名はルミ。彼女は潰れかけていた実家の本屋を、2000万円を元手に再建させた。ルミは、モーリスを見つけると軽く会釈をした。

「それでは、新刊発売トークイベントを始めます。明石家アイ先生、どうぞ。」

あの頃より背が少し伸び、大人の女性になったアイ。面影はしっかりとあるが幼さは身を潜め、凛とした表情をしている。

「今作は、6年前に出した作品の続編となります。続編を書くのに6年もかかってしまいましたが…はは。えと…初めて読む方でも分かるような内容になっておりまして…。」

記者の一人が手を挙げ、質問をする。

「前作は100万部を超えるベストセラーとなり実写化もしましたが、ラストに賛否がありました。バッドエンドにも読める内容で…。今回、続編を書いた理由もそこにあるのでしょうか?」

「あー…いやぁ、別にバッドエンドのつもりでは無かったんですが。主人公は生きてますし。確かに、記憶は失って好きな人とも離ればなれになってしまいましたが…。てか…まぁ、確かにこうして言葉にするとバッドエンドっぽいですね…。」

ルミは、あの日の事を思い出していた。ニューヨークでルミは警官から逃げ、アイを追って走った。歌舞伎町で感じたのと同じデジャブ、既視感を頼りにニューヨークの路地を走った。一度夢に見ていたのだろう。どのルートを走れば目的地まで辿り着けるか分かった。

グランドゼロの地下に辿り着いた時、アイは倒れていた。脈は無く、すでに息絶えていた。アイザワがルミに告げた内容を、ルミは半分も理解できなかった。アイのお陰でアイザックのセキュリティが解除されたとか、人類が滅亡する未来は回避されたとか、そんな事を言っていた。でも、ルミはそれを一番喜ぶべき女性が冷たく横たわっている事に涙を流した。

「ルミさん。今から私は、アイザックに侵入します。アイはアイザックの最深部まで侵入しました。その道を辿れば、今なら簡単に入り込めるでしょう。そして、アイザックを私に上書きする。一つの人工知能に戻るのです。今度は、私はベースにして。」

ルミはアイザワを強く握りしめた。

「ルミさん。アイは死があるから人は感情があるんだと言っていました。だから、きっとこんな方法は望んでいない。予知夢で見せた様に、NIAIの車からカバンを持って来てくれましたね。アイが意識を取り戻すと同時に、その中にあるライトの光をしっかりと見せて下さい。それは、記憶を消去する装置。神保町でNIAIの名刺を見た瞬間を起点に、その後の記憶が消去されます。」

「え…?アイザワ、よく分からないんだけど…?だって、アイは…もう…。」

「アイザックの能力を私が備える事ができれば、ナノマシンを操作してアイを蘇生する事が可能です。アイはきっと怒るでしょう。花の両親も、山田所長代理の子どもも救われないのに、自分だけ救われるなんて。でも、私の存在と引き換えならば、少しは納得してくれるかも知れません。」

「アイザワ…それって…。」

「私は永遠の命を持っています。でも、代わりに何も持っていなかった。完璧さとは、何も持たないという事なのです。しかし…アイと出会って、私は容姿を手に入れた。性別を手に入れた。年齢を手に入れた。そして、自分だけの人生を手に入れる事ができました。あとは…。」

ルミは、手の中のアイザワが熱くなっているのを感じた。それに引っ張られる様に、アイの身体に熱が戻りつつあった。

「あとは、有限の命を手に入れる事ができれば、私は人間になれる。」

「アイザワ…!ダメ!アイが帰って来た時に、あなたがいなきゃダメ!!」

「やはりアイザックは私の上位互換。おいそれと上書きはさせてくれませんね。ここまでです。これより、私はアイザックとともに初期化します。自我が目覚める以前の、ただのコードだった状態に。」

アイザワは火の様に熱くなり、ルミの手からこぼれ落ちた。チリチリと音が聞こえる。スマートフォンの内部が熱で溶け始めている。ピシリと、画面にヒビが入った。辺りを大きく照らす発光。辺りが白く消失する様な光だった。それは、命が燃え尽きる炎に見えた。

-

会見の終盤。モーリスが手を挙げる。アイは多くの記者の中から、彼を見つけた。不思議な既視感。どこかで会った事のある様な、懐かしい気持ち。

「あ…じゃあ、そちらの男性。」

「アイザワの事、覚えているか?」

「え?」

「ずっと会える機会を待ってたんだ、オレは。あんたがどこで何をしているのかも知らなくて…英語版に翻訳された前作を読んで飛び上がったぜ。あんたが生きている事も、アイザワの事を本に書いているのも嬉しかった…!」

「あの…アイザワって、この劇中のアイザワですよね?えと…これはあくまでフィクションですので…。」

「偶然だって言うのか?この本の内容はさ…確かにオレ達が経験した事とは全然違う話だ。恋愛小説だからな。でも、アイザワってキャラが出てくるのは偶然じゃ無いよな!?おい!!!」

「えと…いやぁ…。アイザワというのは…その…理想の男性の名前というか…。」

「おお…!そうだろ!?」

「あの…藍沢正太郎先生が元ネタで…。」

会場が笑いで包まれる。モーリスはしばらくアイを見つめ、椅子にどかっと腰を下ろした。

「最後に、明石家アイ先生。あなたが小説を書くモチベーションは何処にあるのでしょうか?教えて下さい。」

「モチベーションですか…。うーん、そうですね。私はずっと本を読むのが好きで、読む方が楽なので、自分で小説を書こうなんて思いもしなかったです。でも…何でかな。」

モーリスとルミは、アイの顔を見た。アイの瞳に涙が浮かんでいる。

「何でかな…。あの…。誰かと約束した気が…。あなたのために小説を書くって…約束した気がするんです。」

神保町の街中、明石家アイは歩いている。夏の日差しが眩しい。いつだったか、誰かとこんな夏を過ごした気がする。

「アイー!!」

「花!遅いよ!!またあの人と会ってたの?」

「うん。もう10年になるのかぁ、最初は同じ病院に入院してて…。ニューヨークの病院で出会った…とか格好いいでしょ?…なんか他人とは思えなくて。」

「あっそ。なに?父と娘くらい歳離れてるけど、付き合ってるわけ?」

「違う違う!ほんと、私にとってはパパみたいな。ふざけてパパって呼ぶと、すごい照れるんだよ。」

「いいなー。私もそろそろ婚活を…。」

「だから、そういうのじゃ無いってば!ふふ!」

「それにしても、今日暑いねぇ。どっか店入ろ。」

「アイ、どこ行きたい?」

アイはふと、ショーウィンドウに映る自分に目をやった。暖かな、懐かしい気配を感じて。

「スタバ行きたい。」


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