「何かやりたい」という未熟な欲求

大学生の時から、暇さえあれば「何かやりたい」と思ってました。「何かやりたい」って「何者かになりたい」みたいに漫然としていて未熟な欲求に思えるんですが、正直に告白すると未だに「何かやりたい」と思ってます。特に、今は育休って言うのか分かりませんが娘が生まれたばかりで、仕事前倒しに終わらせて年内の仕事ほぼ終わって、仕事収めちゃったので、正月開けるまで「やらなくちゃいけない事」はありません、ほぼ。

大学生の時は、それを拗らせて学生団体とか熱心にやってたんですが、そういう意識高い系の遊びで無くても「何かやりたい」という幼い欲求が抜けない。これは広くいうとモチベーションと呼べる感情だと思うのですが、モチベーションにも種類があって、その中でも最弱のモチベーションな気がします。あんまり建設的な事にならなそうな、どこにも到達しそうも無い感じ。

先日、後輩の優秀なデザイナーが「年末年始ヒマなので、何か作るものありませんか?」って聞いてきてくれたんですが、何か無性に、仕事以外で手を動かしたくなる欲求って分かるなと、オレも未だにあるんだよと思いました。

そういう時に、noteを書いたりしてるんですが、もっと他に「何かやりたい」という気持ちが湧いてくる。湧いてくるって前向きな表現では無いか、溜まってるって感じ。「何かやりたい」が底の方に濁って沈殿してる。

この漫然とした欲求って、多分「モテたい」とか「死にたい」と同じカテゴリーだと思います。「モテたい」って好きな人がいる時ってあんま湧いてこないと思うんですよ。「振り向いて欲しい」「付き合いたい」とかじゃなくて「モテたい」って相手が居ない感じがする。「死にたい」も、重いやつじゃなくて何か筋肉痛くらいの感覚でふいにやってくる行き場の無い衝動というか、具体的に何かある訳じゃ無いやつ。「モテたい」「死にたい」「何かしたい」という、同じ引き出しに入ってる幼い衝動。これらって、大人になると人様に言わないですよね。幼いと思われるから。でも多少なりともあると思うんです。

「モテたい」は承認欲求とか、そういうのだとして「死にたい」はこじれた自己愛だとして、じゃあ「何かしたい」ってのは何なんでしょう。もしかしたら寂しさなのかも知れません。似ている感覚に覚えがあって、小さい頃に塾とかの帰り道、暗い夜道を歩いてる時に、すごい寂しくなって走って家に帰った事がありました。あの感覚に似てる気がする。手持ち無沙汰と孤独が合わさって、無性に寂しくなる感覚。だから、仕事してる時とかやる事がある時に「何かやりたい」って思わない。何か、ふと空いちゃった時。何かと何かの間にいる時。

以前、糸井重里さんとご飯に行った時に「孤独は大事だよ」と話をして頂きました。孤独っていうのは、何かやるべき事に没頭して独りになる時以外にもあるのかも知れない。何かと何かの間に立っている時、無性に拠り所を求めてしまう時にも、孤独はあるのかも知れません。

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コメント (2)

”L. Wittgenstein bot
@wit_bot

願いというものは、実に虚しい。虚栄に満ちている。それが判るのは、例えば私が、きれいなノートを出来るだけ早く使いきりたいと思う時だ。何の利益もないのにそうしたいと思うのは、私に能力があることを示したいからではない。”

こういう感覚にも近いなと思いました。
好奇心だと思います。

>多分「モテたい」とか「死にたい」と同じカテゴリーだと思います。
専門家ではないので詳しくわかりませんが、3つとも人間の持つ根源的欲求からくるものではないでしょうか。

>あんまり建設的な事にならなそうな、どこにも到達しそうも無い感じ。
僕の持論なのですが、好奇心は何かを目指すものではなく、内から湧き上がってきて後になって気づくと着地点ができているものだと思っています。トップダウンとボトムアップの違いと言いますか。
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