「作品に罪はあるのか?」の話

漫画家のかっぴーです。「左ききのエレン」を描いています。

漫画の題材という事もあり、私はクリエイターの事をしょっちゅう考えています。何か具体的な事例について話がしたい訳では無く、ここ5年間くらいのざっくりした話になるのですが、クリエイターが何か不祥事を起こした時「作品に罪はあるのか?」という議論になりますよね。正直な所、私は正解が分かりません。

改めて強調しますが「作品に罪はあるのか?」という話であって「作者に罪はあるのか?」に関しては、私は何も言える立場にありません。というのも、私は警察でも弁護士でも無いため、罪を断定したり罰したりできる訳が無いからです。

当然私も人間なので、そのケース毎に「これは許せない!」とか「これは厳し過ぎるのでは」とか、思う事はあります。しかし、それは単なる感想に過ぎませんから、勝手にそう思っておけばいい事です。

私は「作品の罪」を、「作品と作者の距離」という尺度で考えてみました。不祥事を起こした芸人さんがコントをやったとします。コントは作品です。しかし媒体が作者本人なので、どうしても別々に考える事が難しいと思います。映画やドラマも、同じですよね。バラエティタレントは本人そのものだと言われれば、確かにそうなんですけど、タレントさんはテレビに出ている時とプライベートってかなり違うと思うので、何かを演じているのだとすれば作品とも捉えられるし…。とにかく、作品と作者が切っても切れない距離に居る限り、作品は作者の罪から逃れられないのだと感じます。

ではデザインはどうでしょうか。私は元々デザイナーだったので、色んな人の作品をたくさん見てきました。ある巨匠が著書で「友人が可愛いパッケージだったからお土産にと、私がデザインしたモノとは知らずに持ってきた。」と嬉しそうに語っていました。デザインは、誰がつくったかなんて知られる必要が無いのだと、それがデザイナーの美徳だと語っていて、凄まじく格好良く思えました。

でも、皆さんもご存知の様に、デザインをはじめ作品と距離がある媒体で創作している作家であっても、不祥事を起こせば糾弾されてしまいます。これに対し「作品と作者を混同するな」とキッパリ言い放つ事ができるなら気持ちは楽になるのですが、私自身も個人的に許せない類の不祥事を目の当たりにした時、やはり同じように作品ごと嫌いになってしまう事があるのです。

この感情は、やっぱりSNSが生まれたからなのでしょうか。SNSと言うか、昔は業界紙を熱心にディグらないと作者の事なんて知りもしなかったし、簡単に作者が見える場所に居る時代に、どうやったって作者は作品と切り離せないのかも知れません。

むしろ、積極的に作者を切り離そうとする消費者も大勢います。私はでしゃばりでインタビューの依頼を簡単に受けてしまうため、顔や発言が表に出る事が多いので説得力に欠けるけれど、見ようと思わなければ見えない様にはしているつもりです。単行本の著者近影をイラストにしてるのは、作者の顔を見たくない人が一定数居ると分かっているからです。

似た様な感情で、私は好きな芸能人にこそ会いたく無いと思います。そこそこ好きな芸能人には会って喜べるのですが、本当に心底大好きな人には、一生会いたく無い。遠くで、メディアの向こう側のまま見ていたいと思います。近づいた事で何か知ってしまい、今の好きと言う感情を台無しにしたくないんです。

SNSの影響は、直接的に作者が前に出てしまうという事だけでなく、これまで一方通行だった作者と消費者が、近づいて、相互になってしまったのだと思います。作者や芸能人にツイッターでリプライを送れば、目に入るかも知れない、そういう距離感が何かを壊したんじゃ無いかと思います。これは、良くも悪くもです。

「信用経済」という少し前に流行った用語を出すまでも無く、今はもう、どうやったって作者と作品を切り離す事は不可能に近いです。ですから冒頭の「作品に罪はあるのか」という話に戻すと「作品に罪が無くても、作者への感情と切り離せない」が正しいのかなと、今のところ思います。何だか結局、ただの言葉遊びのようになってしまいましたが、作者の不祥事を不快に思って「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」となるのは避けられない事で、そう思う事は許されている事だけど、「じゃあ袈裟を燃やして良いんだっけ?」という事は、ちょっと別問題だと分けなければいけないと思います。

これは、あくまで私の個人的な感想ですが、ここは個人ブログなので思っている事を一方的に書いても問題が無いと思うため勝手に書きますが、私は表現者が長い人生のどこかで不祥事を起こし、活躍の場を失ったとしても、本当に退場する時は創作で負けた時にして欲しいと思うんです。表現で、作品の内容で、打ち負かされて終わって欲しいです。それ以外の理由で退場しないで欲しい。「あの人は不祥事を起こして、作家を辞めた」とならないで欲しい。「あの人は才能が枯れたから、作家を辞めた」であって欲しい。あるいは、創作に満足して去って欲しい。最初から最後まで、途中がどうであれ、作品で人生を決めて欲しいと思います。

その作品で救われた人が居る限り、その人達のために、また生み出した作品そのもののために、作家人生の最後は創作の場で幕引きをしてくれる様に願っています。

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