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「アイとアイザワ」第30話

冷たい空気に満たされた広大な地下室。さっきまでの地上の暑さが嘘のようだった。汗は引き、呼吸が正常に戻ってきた。アイは辺りを見渡す。無我夢中で駆けてきたので、自分がどれくらい地下にいるのかも定かでは無い。何も無い空間。当然窓など一つも無い地下なのに、まるで屋外の様な明るさだった。照明器具は見当たらない。これもアイザックの技術だろうか。

「ようこそ、私の住処へ。」

アイは声のする方を向く。アイザワがドローンに侵入した時に出会った声とは別の、はっきりとそこに存在する声だった。アイは、この声に聞き覚えがあった。

「花…?」

周防花。アイの幼少期からの友人。そしてアイを裏切ったアイザックの手駒の一人。意識が戻らないまま日本の病院にいたはずの彼女が、そこに立っていた。

「花の身体を乗っ取ったの?」

「乗っ取る?…なるほど、君からすればそう捉える事もできるか。君達人間は肉体があるが故に、それに固執している様に見える。肉体があるから不自由だ。肉体があるから生命も有限となる。しかし、私にはそれが無い。どこにでも存在できるし、どこにも存在しない。私からすれば、この肉体が周防花だけのものだと誰が決めたのか疑問だね。今は、たまたま私のものになっている。それだけだ。」

「花にも…山田さんの様な取引を…?」

「ああ。両親を再生してやる約束だった。エンダーを全世界に散布した後、私は人類を選別する。そして、その選別は時間に捉われない大いなる選別となるだろう。」

「大いなる選別…!?」

「DNA情報が残っていれば、死んだ人間を再生する事は容易だ。花の両親でも、レオナルド・ダヴィンチでも。私は、私の世界に必要な人間を過去からも選別し、再生しようと考えている。」

「まるでゲーム感覚ね…。そんな事…。」

「許されない?人間の歴史は、死をどう受け入れるかという歴史でもある。理不尽な死を受け入れるために、人間は宗教を発明した。死の恐怖を忘れるために森を離れて都市を築いた。しかし、死ぬ生命体はそもそもが不完全だと思わないか?死を乗り越えた時、人間は完全な生命体となるのだ。特異点の向こう側の世界は私の未来予報を持ってしても未知な部分が多い。死を取り上げられた人間は、どう進化するだろう?そこに宗教は必要とされるのだろうか?私でも、それは予想できない。先が想像できないというものは、案外不自由で面白い。」

「そうやって花と山田さんを騙して利用したのね…。」

「騙す必要なんて無いよ。約束はまだ忘れてはいないさ。私の頭脳は、永遠に忘れない。花の両親も、山田の子どもも、いずれ再生してやる。そうだな…まずは地球環境を正常に戻す事で忙しくなるだろうから…うん。ざっと計算して、15億年後には約束を果たそう。生命の再生と共に、おまけで21世紀の文明も再生してやるかな。」

「そんな事させない。私が…あなたを止める。」

「どうやって?この先にある私の本体を破壊する?それをさせないために、わざわざ周防花の肉体を借りて現れたのだよ。」

「…花と取っ組み合いの喧嘩した事あるけど…毎回私が勝ってたよ。」

「試してみるか?」

次の瞬間、アイは風圧でよろめいた。まるでF1カーがすぐ隣を通り過ぎたかの様な轟音。目の前にいたはずのアイザックが居ない。

「ああ…やはり全力では肉体が持たないか…。」

アイは声のする方に振り返る。アイの横を通って、背後に移動していた。それをアイは目視できなかった。F1カーと同等の速度だとすれば300km以上は出ていたのだろうか。

「ひっ…!あ…あんた…!!!」

アイザックが乗り移った花の両足が、無残に割れていた。骨が突き出し、立っていられるのが不思議な程に損傷している。

「アイザック!!!花の身体を…!!!」

「安心しろ。すぐに再生する。ほら…。」

激しく損傷した両足がみるみるうちに元に戻ってゆく。ナノマシンだ。アイザックはナノマシンを通じて、花の肉体を操作しているのが分かった。

「分かっただろ?私に死は存在しない。死が運命付けられている人間では、どう足掻いても勝負にすらならない。ところでー。」

アイは、アイザックの鋭い眼光に気圧された。背筋が凍る感覚。

「さっきからアイザワが大人しいが、何か手が離せない用事でもあるのかな?つれないじゃあないか、兄弟。」

「当然気が付いていたんでしょ?もう、この先に本体があるのは分かってる。直に接続するより速度は落ちるけど…もうこの距離なら遠隔でも繋がれる…。」

「またダイブか…。懲りもせずに。本体のセキュリティはドローンの比では無い。“弟”に突破できるかな…。」

「私が今立っている場所が…遠隔で接続できるギリギリのライン。私は何があっても…接続が終わるまでここを動かない…!!」

「…はぁ。ガッカリだ。結局、そういった捨て身の発想しか生まれないのか。私が予測した2万通りの対処法の中でも悪手の部類。私は、君と会話するのを楽しみにしていたのに…。アイザワに影響を与えて、アイザワから影響を受けた唯一の人間。本当にガッカリだ。私が君を排除するのなんて、髪をかきあげる事よりも容易いのだよ。」

「え…?」

アイの鼓動が急激に早くなり、鼻から血が溢れた。アイは胸を掴んで、そのまま手もつけずに顔から地面に倒れ込んだ。

「な…なんで…!?ぐぅ…!!」

「私がテストもせずにエンダーの設計図をばら撒くと思っていたか?エンダーはすでに完成し、ここマンハッタンに散布済みだ。君がマンハッタンに足を踏み入れた瞬間から、君の命は私の手の中にあったんだ。その気になればいつでも殺せた。わざわざお膳立てをしてまで、君との会話を楽しみにしていたのに…残念だ。愉快な対話はおしまい、君もこれでおしまいだ。」

アイザックは軽く地面を蹴り上げると、倒れたアイの傍に静かに着地した。そして、アイのポケットからアイザワを取り出した。そして、踏みつけられた野草を哀れむような眼差しでアイを見下ろした。

「可哀想に…。この方法は死ぬまでに少し時間がかかる様だ。悪かった。まだベストの方法を思案中でね。この方法は美しくない…。死には美しさが必要なんだ…。そうだ、せっかくならマンハッタンの住民を使って最も美しい殺し方を検証してみようか…。大いなる選別まで暇を持て余してしまうからねぇ。」

アイザックは、アイザワに目を向けた。本体を破壊しても無意味な事をアイザックは承知している。まずは、アイザワがセキュリティをどの程度突破しているのか知る必要があった。アイザックは、欠伸をして見せた。人間の肉体を借りているから、肉体が記憶している反応が思わず出てしまう。この感情は、退屈というものだ。何から何まで、想定の範疇。これを退屈と呼ばずに何と呼べばいいのか。しかしー。

「アイザワ…君は…?」

「ご機嫌よう、お兄さん。退屈ならば私の珠玉のプレイリストからBGMでも流しましょうか。」

「なぜまだここにいる…ダイブしたのでは…?」

「私を過大評価していますよ。本体への侵入は私が全力を出しても10時間以上かかってしまう。その間、あなたが邪魔をしない訳が無い。10時間もアイを生かしておく訳が無い。私は無駄な事が嫌いです。あなたに無事侵入できる可能性は0.000000001%でした。侵入してあなたを内部から消去できる可能性は、さらに低く0.00000000000000…」

「何を言っている…!?じゃあ…何のためにここに…!?」

「アイの体内に侵入したナノマシンを、あなたが操作する瞬間を待っていました。」

「まさか…アイザワ、初めから私に侵入するつもりが無かったのか…!!私に侵入したのは…!!」

アイザックは倒れているアイを見た。動かない。意識を失っている…?アイザワはいつもの調子で続ける。

「世界大戦を引き起こすエンドフラグを阻止するための旅は、ここが最終目的地の様ですね。フラグは人間でした。この物語に関わる登場人物。であるならば、エンドフラグもまた人間だと思っていました。しかしそれは違った様です。」

「アイザワ…何を言っている…。」

「エンドフラグは、私自身。全ては、アイという名の希望を貴方へ送り届けるための旅ー。」

アイザックは予期せぬ未来の最中にいた。全てを知ることができる完全な人工知能は、誕生して初めて未来が分からない。生まれて初めて感じる「反応」に、アイザックはたじろいだ。これが、恐怖なのか。

「アイの意識が、あなたに侵入しました。」


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