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住む家と稼ぎをダウンサイジングした人の話

以前、こんな本を読んだ。著者はアメリカ人の女性。

彼女は借金を抱え、仕事に追われる生活をしていた。よい仕事に就いているはずなのに、3万ドルある借金はちっとも減らず。

それもそのはず、買い物はしまくり、支払いはいつもクレジットカードでリボ払い。旦那さんと110㎡のアパートに住み、車はひとり1台ずつ(ステレオタイプだけど、いかにもアメリカ的!)

そういう生活に行き詰まりを感じ、何かを変えなくちゃと焦る毎日。そして、とうとう旦那さんと一緒に生活全てを変え始める。持ち物を減らし、出費を抑え、借金を返し、仕事も変えてしまうのだ。

こっちの極端から、あっちの極端へ

要するに収入以上に支出があったわけだから、身の丈に合わない生活をしていただけなのだけど、時間や気持ちのゆとりなど金銭面以外での変化が面白い。

借金を返した後もどんどんモノを減らしていき、そして最終的には、大量消費で全てのものが大型の生活をやめて、究極のミニマリストになってしまうのだ。最終的には2人はなんと、10㎡(約6畳)の家に住んでいるのだそうで!このキッチンやバスルームも全て収まっているのだから、かなり狭いはず。

正直なところ、極端すぎて真似をしたいとは全く思わない。でも、両方の生活があまりに極端なおかげで、読者にも生活の違いがはっきりと見えてくるような気がする。

衣食住のサイズを小さくするプロセス

2人がしたのは生活の規模を小さくすることだ。最初は110㎡のアパートに住んでいたが、70㎡、40㎡のアパートと、順を追って狭い部屋に引っ越しした。

広い部屋に住んでいる段階で、予定の引っ越し先と同じ広さのスペースに印をつけて、そこだけにモノを置いて生活し、シミュレーションをするのだとか。

大量のモノはどう頑張っても狭いアパートに入りきらないので、同時に持ち物をかなり減らしたそう。そして、片付けの過程で、信じられないほどの数の洋服を溜め込んでいたことにも気づいたらしい。

それは何か分かる。私は洋服を持っていない方だと思うけど、引っ越しのときにクローゼットの洋服を全部出してビックリした。全然着ていない服がたくさんあることが衝撃だったし、なぜ買ったのかよく分からないものまであった。

まあとにかく、そうやって彼らは狭いアパートに引っ越していったのだが、アパートが狭ければ普通は家賃も減る。収入が同じなら差額分の余裕がでてくるわけだ。ここまでは、ちょっと考えれば納得の算数の話だろうか。

アメリカで車なし生活

そして、2人は最終的に2台の車も手放す。

車社会のアメリカで車がないというのは、どんな感じなのだろう?貧困家庭でなければ1人1台ずつ車を所持していて、それが当たり前すぎて、車がないのはありえない感じなのだろう。日本やドイツの都市部なら車がないのも普通だけど。

きっとかなりの勇気が必要だったのだろう。彼女も、車がなければ仕事にも行けないと思い込んでいたと書いている。

アメリカ人は、平均して年間9000ドルを車にかけているそうで。確かに車の所有は、維持費や駐車場代、保険など、かなりお金がかかるものだ。

ダウンサイジングで、仕事の形も変わる

彼女は以前は、資産運用会社で働いていた(その割に自分の資産運用はできてなかったのだが…!)。やりがいは感じないが、お金のために仕方なく働いていたのだ。仕事ではストレスを感じ、息抜きはショッピング、家に帰ったらソファに座ってテレビを見る生活をしていたそうで。

これは現代の多くの人がやっている生活なのかもしれない。私の場合、ドイツに来てからあまり買い物をしなくなったけど、日本にいた頃はお店によく行っていた記憶がある。

彼女の場合、生活のサイズを小さくしてあくせくお金を稼ぐ必要がなくなったことで、車や広いアパートのために、追われるような仕事をする必要がなくなったのだとか。そして、やりがいを感じられる、好きな仕事に転向することが可能になったのだそうだ。

モノに溺れる

面白いなと思ったのが、モノをたくさん持っていたころの自分についての彼女の分析。

振り返ってみると私の場合、本来必要もなければ使いもしないモノをそれでも持っていたかったのは、モノの中に自分のアイデンティティ、つまり「まわりからこう見られたい」という理想の自分を見出していたからだ。

確かにそういうモノの持ち方をしてたら、幸せになれない気はする。モノなしでは自信が出なかったり不安だったりするのかもしれない。より立派な家や高い車を所有することで、周りが自分を見る目をコントロールしようとするわけだから。

あとはそういう心理状態での買い物は、結局は無駄なモノを増やすだけの気がする。これが欲しい、これを着たら素敵になる、これを買ったら楽しくなる!と考えてモノを買い、数日経つとその高揚感はなくなって、次の何かが欲しくなってくる…というような。

うーん、これは私も今でもたまにやってるかもな…。

こういう買い物をする時って、モノを欲しがっている自分の本当の奥底の気持ちの言語化ができていない状態なのかなって考えることがある。無意識にモノで何かの穴を埋めようとしているけど、実はそれで埋められるはずもなくて、実際手に入れたら使わなくなってしまうというような。

幸せになった著者

ダウンサイジングをして、著者はすごく幸せになったそうだ。

通勤で車に乗らないのでイライラしなくなり、自転車での移動はとても楽しいそう。ショッピングモールにも行かなくなったし、今の状態に満ち足りて、生活を楽しめるようになったという。

何かに追われて仕事と消費ばかりしている生活よりは、禅的な生活っぽいし、確かに精神的に安定しそうではある。

普通って何だ?

あとは以前の生活スタイルをしていたとき、そういう生活が「普通」だと思い込んでいたという話が面白いと思った。

「普通」と思っていたけど、実は全く「普通」ではなかったという事ってよくあると思う。例えば、日本で「普通」と思ってたことが、外国に行ったら「異常」とみなされることだったとか。

昔の「普通」も今の「普通」ではないし、今の「普通」も未来から見たらむしろ「異常」なのかもな…などと、思考がいささか回り道したのだった。

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