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北京入院物語(63)

 周さんというのは、ある意味中国を象徴する存在かもしれません。
ゴツゴツとした野生や、貪欲さ、たくましさ、狡猾といっていいほどの頭のよさ、それを隠すうまさも持っていました。
 平和ボケした私を手のひらで転がすくらい簡単だったはずです。

周さんが住んでいた家(同等)



 彼のことに紙面を割いてしまいますが、いまだ謎があり、いまだ魅力があり、どこか親しみを感じています。
私の中国語はその後徐々に上達し、後任の包さんと難しい話ができるにつれ、周さんの人となりを聞きました。

 包さんの説明によると、周さんは再婚者で、初婚の相手は金持ちだったそうです。

彼も会社経営をしていた社長だったというのです。
その後、いきさつは分かりませんが、離婚し、今の奥さんとの間に男の子をもうけた頃には、すっかり没落し、北京の最低下層の人間が住むレンガの家に住まわざるを得ず、お金もない彼は手軽にできるフーゴンをはじめたということです。

 彼の持っている陽気さの底にある、なんとも言えない「けだるさ」は、没落した自分のやりきれなさであり、高価な携帯電話と背広は、いまだ裕福であるという幻想を与えてくれる魔法の道具と思えてくるのです。
屈曲した自分を時に酒でごまかし、給料の1/3ほどを宝くじに費やして、くもの糸ほどの希望をよじ登り、金持ちに戻ろうとしていたのだとすれば、憎たらしさよりも愛着を覚えます。

 誰にも言っていない話があります。
周さんを首にした日、私が後任の包さんと外に出かけた隙に、周さんは鍵を借りてきて私の部屋に勝手に入り、2人で出かけた公園や、広州旅行の写真を眺めていたことを、後になってパソコンの詳細な閲覧記録から知りました。
無断入室以上に彼が何を考えて写真を見ていたかの方が、いまだに気になります。

 その後、広い病院ですので彼と会う機会はありませんでしたが、一度だけ、ばったりと同じエレベーターに乗り合わせてしまいました。
簡単な挨拶で分かれた後、1年ほどたったときです。
彼は病人が気に入り、自宅に連れ帰ったといううわさを聞きました。
うわさは本当だったのか、彼と2度と会うことはありませんでした。
北京入院物語(64)


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