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とあるブロガーの聖譚曲《オラトリオ》~#PRをつけない向こう側の本音と何か(自己紹介)

『私は頼まれて物を云うことに飽いた。』
作家・菊池寛による月刊「文藝春秋」の創刊の辞の一節。

まさに、今そんな気分でここにいる。

私は普段、「家電女子.net」というレビューブログをハブにして、家電を中心としたレビュー記事や、各種メディアへのライティングなどを少々。

本業はOL(死語?だけど、しっくりする類義語がないので使い続ける)なので、多少執筆料が出るような記事を書いても、朝のタリーズの前を5回に3回は素通りしてコンビニコーヒーにする程度の懐事情だ。
時給計算なんておぞましいものは、治りかけのかさぶたを無理やり剥がす位に痛くてエグい。

しがない物書きのロードマップ

そんな嗜み程度の物書きではあるけど、元来文章を考えるのは大好き。

思えば、私の物書き人生のスタートは、母との交換日記だった。
共稼ぎで夕方まで帰らない母と、毎日習い事ですれ違う娘。
「行ってらっしゃい。おやつは棚の上。頑張って。」
「行ってきます。今日のおかずは何だろう?」
その程度でも、赤ペン先生のような手書きの一言がうれしくて、2行以上のコメントなら、その倍書いて習い事に遅れそうになった。

中学時代は授業そっちのけで小説を書き、絵がうまい先輩にコミカライズを発注。勉強会と称し、そもそも一発も当ててないのに次回作の構想を練っていた。時代が違えば、確実に薄い本を発行している。
(絵師募集中?←諦め悪い

高校時代も親友と交換日記を続け、卒業までにA4ノートが20冊を超えた。そのノートは半分家にあるが、内容が自己中アオハル過ぎて、ダイニチのファンヒーターばりの着火スピードで頭が爆発し、秒で死ねる。

その後も大学~社会人、結婚後も形と目的を変えながら駄文を書き続け、2005年位にブームが来ていたブログを開始。
(しかもLivedoorブログだったというベタすぎる衝動)

何かと家電にあふれていた家庭に育ったので、使ったカメラ・家電・ガジェットなどのレビューが楽しくなり、雑記ブログから専門レビューサイトを独立させて今に至る。
多分、ベータマックス大好きソニラー父の遺伝子のなせる業。

よくあるブロガーの独り言

これまで自己満足の中で完結していたものが、一気に電波に乗って拡散されると、無名でネットの砂丘に埋もれる一粒砂でも、風向き次第ではどこに飛んでいくかは本当にわからない。どこかで燃え上がることだってある。

間違って偏西風に乗ってしまった私の綿毛が、誰かの手のひらに着地して、「文章、面白いですね」との一言をもらうと泣きそうになる。いや、正直泣いてる。
ありがたいことに、ぽつぽつりと気まぐれなにわか雨のように執筆依頼も来るようになった。

「ぜひ忌憚なきご意見を自由に書いてください!」

何かとうるさいこのご時世に、褒めちぎり限定と言うクライアントは少なくなった(ないことはない)ので、メリット・デメリットも素直にレビューするのは苦じゃなかった・・・はずだった。

私の執筆ポリシーとしては、悪口は書かない。競合メーカーとの比較も、一方落として他方を持ち上げることもしない。

どんな商品でも「帯に短し襷に長し」なので、それを隠すのはレビューじゃないし、読者はそういう情報を知りたがっている。

「使えねぇ!」というのは簡単で、何なら家ではもっとひどいことを叫んだりするんだけど、ではどうしたらもっと使えるようになるのか、何があればよくなるのか、次世代開発に期待することを列挙することにしている。

ただし、それは非常に体力がいることだ。
だって使えないものは使えないんだもん←言い方

写真か、文章か。それが問題だ。

私は、写真(撮影)が好きだ。唐突に話が変わったが、実は後でつながる。(こんな写真撮ってます。)

そもそもは件の父の影響もさることながら、本格的にカメラを購入したのは、レビューブログを始めて「ブツ撮り」の必要に迫られたのがきっかけだった。

始めてみれば、風景やストリートスナップを撮るのも楽しくて、レタッチする時間すら幸せに満ちていた。散歩に出かければたった100m移動するのに1時間を費やすのはざらで、肝心のブツ撮りは照明に凝りすぎて、記事用のアイキャッチ撮影に数時間をかける始末。

うれしい!楽しい!大好き! だけど・・・。
記事と写真に挟まれ、ゆがんだドリカム状態は長く続かない。(リアルか)
(てゆうか、ドリカム=3人指してる時点で時代が草)

記事のための写真か、写真のための記事なのか、まるで分らなくなった。
「楽しい」は時に毒で、思考体力と行動時間を蝕み、過剰摂取は死に至る。
このままではブログ継続が風前の灯火に・・・。

クズ男上等! noteで両方の「スキ」を解放する

「キミを嫌いになったわけじゃないんだ。」とかいって去る男。

クソがっ!

そう思ってましたが、撤回します。
選べない、選ばない。文章も写真も両方好きっす。どっちのせいでどっちがおろそかになるとかならないとか、何様よって感じです。すみません。

もっと自由に、不定期に、思いのままに、駄文だって、長文だって、妄想だって、なりきりだって、いいじゃない。

そんな自由を求めて、私はnoteを書こうと思う。
エッセイ、コラム、小説、ただのぼやき何でもありだ。

そんなフラストレーション発散が、きっとブログ更新にもいい風をふかせてくれるはず。更新頻度も気にしない(少しは気にしろ

カバー写真だって、記事のイメージじゃなく、スマホに埋もれた関係ない写真を成仏させたくて選ぶかもしれない。
でもきっとそれは、何千何万とたまっていくライブラリから、私に何かを語りかけた写真だと思うから、それもちょっとは見てあげて。

すんごい写真が撮れた時も、「見てみて!」って自慢するかもしれないけど、「はいはい」とあきれながらチラ見してくれると嬉しいな。

事後報告ですが、ぽつぽつ書き始めてました(笑)。
あまりに自由すぎる頻度ですが、一方通行の交換日記みたいなnote、気が向いたらおいでませ。

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